ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

多摩ニュータウンの "リニューアル" は誰がやるのか

0. 導入

1960年代から、東京都が総力を上げて開発に尽力してきた多摩ニュータウン

新宿、渋谷などの副都心から距離を起きつつ、しかし十分に通勤可能な位置に設けられた「新しい」都市だったのだが...。

 

1. 多摩都市モノレール開通まで

当時新しく当選した都知事の「多摩ニュータウン事業から手を引く」という一声に加え、1974年のオイルショックによりピタリと住宅需要が止まってしまい、計画された都市規模に現実が追いつかず、京王電鉄小田急電鉄など、住宅開発事業を前提に延伸してきた民間企業は赤字を強いられた。

一方、多摩市においても、当時定められた小中学校の建設費の負担ルールについて懸念の声が上がり、こうした重要な公共設備の開発が中断してしまっていた。公共設備がなければ住宅は建てられず、結果として越してくる住民の数自体が減少することとなってしまった。

都市開発に携わる民間企業にとって、採算性の問題というのは喫緊の課題であり、特にこの多摩ニュータウン事業は、民間企業が東京都や開発公団の充実した先行的な整備を前提としていたために、当初構想されていた多摩ニュータウンのプランを変更せざるを得なくなくなった。つくづく運の悪かった多摩ニュータウン事業だったが、結局東京都が学校施設に関する負担を全額請け負うことになり、ようやく足枷が外れた。このとき、「オープン・スペース(緑地)」と呼ばれる空地をニュータウン内で30%以上確保することが定められ、この方針転換が後の多摩ニュータウンの設計・景観・住みやすさに大きく影響することとなった (2005年までに、緑の都市賞を2度、日本都市計画学会賞を2度、都市景観大賞を3度、日本造園学会特別賞、日本不動産学会業績賞を受賞している) [wikipedia] 。

多摩ニュータウンはその後、東京都立大学の南大沢への移転を皮切りとした大学進出や、稲城市・町田市への開発の発展などを経て、1998年には多摩都市モノレールが一部区間で開業し、2000年1月にまでに 上北台~多摩センター間 で全面開業した。利用者は順調に伸び、営業利益は早くから黒字を達成していたが、膨大な建設費による累積赤字が問題となった。

 

2. 都市交通需要とその変容

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多摩都市モノレール筆頭株主である東京都(79.9%)は、多摩都市モノレール負の遺産とみなし、出資などの経済的支援を積極的に行い、無事に多摩都市モノレールの経営を安定させた。

しかし、多摩都市モノレールが構想され始めた頃から、多摩ニュータウン地域のみならず、多摩地区全体における鉄道計画を見直す声は高まっており、特に南北方向を結ぶ鉄道路線の少なさが批判の材料となっていた。多摩ニュータウン地域において、多摩都市モノレールはその批判と需要に応えるべく計画・建設されたインフラの一つだが、主要な延伸計画がまだ2つ残されていることから、依然として十分に需要を満たすには至っていないといえる。

ところが2020年、事態は変わった。2つの延伸計画のうち、上北台 ~ 箱根ヶ崎間 について、東京都がついに延伸事業のための調査費の予算計上を行った。順調に行けば2022年度以降、本格的に延伸工事が着工される見通しとなる。

新しい終着駅となる箱根ヶ崎駅は、実は早期からモノレール駅の設置が要望されていた。しかし路線延伸は、多摩都市モノレール側にとっては莫大な負担となる。多摩都市モノレールは、一般道路の中央分離帯のスペースの上に跨座式軌道を敷設して走っている。今回の延伸工事もその方式がとられるのだが、中央分離帯が十分に確保されていない区間はまず道路の改良工事から始める必要があり、場合によってはそのために歩道を削らなければならなくなることもある。住民たちが求める「多摩モノレールの延伸」に応えるためには、そういった何段階にも分けられたステップを一つ一つ地道に上っていくことになる。そうなれば、多摩都市モノレールと各自治体の負担だけでは到底建設費を賄うことはできない。東京都という広域自治体による本格的な支援が行われるまで、都市交通の需要を満たすことはできなかった。

 

3. これからの都市計画と都市交通

多摩ニュータウンの都市交通はもはや「多摩ニュータウン」に限定された需要を満たすものではなく、多摩地域という広域な範囲に渡って供給を行うツールへと変容したのである。多摩都市モノレールの例を見ればそれは明白である。民間企業が自力で各自治体の都市設計の要望に応え、事業を展開できる時代ではなくなっている。

都市開発に携わるひとつの民間企業と、自治体の間で繰り広がられる駆け引きというのは、その地域の都市計画に色を付けることにはつながるが、即時的かつ物理的な変化には至らなくなっている。小田急多摩線相模原駅延伸も、目処は立ったが、開通は早くても2033年とのこと。

その都市に暮らす人たちが、自ら都市計画に参加し、動かす手段は限られている。民間企業もまた、どうしても利益を優先して動かざるを得ず、積極的なアクションはなかなか起こせないことが多い。この住民と企業の間の溝を埋め、すれ違いを解消し、両方にとって良い効果をもたらす存在となるべきなのは、やはり広域自治体、すなわち「都道府県」なのではないかと思う。

交通は住民の主要な足であり、生活の一部である。交通が発達しているかどうかは、各市町村などの基礎自治体の活性化にも大きく関与してくる。

かつて、東京都は多摩ニュータウンという大きな風呂敷を広げたが、果たして住民の期待、民間企業の期待に応えることはできただろうか。老朽化が叫ばれ始めた多摩ニュータウンだが、その再生事業を動かし、住民や企業を含め、「都市」そのものを即時的にアップデートしていくには、東京都という大きな存在がなくてはならないのではないかと考える。