ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

グレーゾーン?

最近、いろいろ考えていたら一つ分かったことがあるんですよ。

僕が「アスペルガー症候群のグレーゾーンの人間であるかもしれない」ということです。

 

アスペルガー症候群というのは、その定義がよくADHDと混同されがちですので、ここでハッキリと再定義する必要があると思います。

ja.wikipedia.org

wikipediaにおいては、アスペルガー症候群は「特定の分野への強いこだわりを示し、運動機能の軽度な障害が見られることもある。自閉症スペクトラム障害うち知的障害および言語障害をともなわないグループを言う」と定義されており、本記事においてもこれに依拠して定義するものとします。

 

 

さて本題に入りましょう。

今までの自分の人生を見つめ直し、僕の特徴を抽出してみたところ、結構アスペルガー症候群の一部の特性と合致するものが多かったんです。ということで書いていきます。

 

<興味分野の偏向>

・日本語の変化には興味を持つが、高校古典の授業はあまり好きではなく、受験で使おうともしなかった

・小学生の頃、家にあった日本史のマンガを読むのが好きで永遠に読んでいたため、中学時代は歴史のテストは勉強をほとんどしなくても90点とれた。ただし、高校の日本史の授業は結構寝ていた

 

<興味のない分野においての忍耐力・集中力の欠如>

・小・中ともに、テストの点数が良い教科でも、宿題をするのが非常に苦手だったため3か4がつくことが多かった

 ・中学時代、主要5教科は全体的に点数が良かった(合計420点程度)が、実技4教科は勉強をする気が起きなかった。美術で30点台をとったことがあった

・クラスメイト、特に女子の顔がなかなか覚えられない(覚えようとしない)

 

<偏屈な集中力>

・5歳で最寄りの鉄道路線の全駅の名称を暗記する

・小学校1~2年生の頃は、暗算がクラスでトップを争うほど速かった

・高校2年生の夏休み、アルファベット大文字+一部の文字を収録したフォント(30文字程度)を3日間で作り上げる

 

<規則性への固執

因数分解や関数など、規則性のある数学は得意だったが、幾何学や中学受験数学など、規則性の少ない(あるいはない)数学は大の苦手だった

・画像作成等において、オブジェクトの座標位置を "600" や  "-480" などキリの良い数字にしたがる

・システマティックなもの、型にはまったものが好き(鉄道ダイヤグラム国際音声記号、音MAD など)

 

<その他>

・基本的に何かを作るときは全て1人でやりたい

・自分で納得のいくものしか世に出したくない

・同じ曲を何度もループしながら作業をすることが多い

・電話をかけるのがかなり苦手

・上の立場の人間から叱られると、顔から血の気が引いていったり、ショックを過度にうけたりする

・絵を描く時など、細部に注意力が注がれやすく、全体を把握するのがあまり得意ではない

・画用紙や学校の定期テストの紙など、特定の紙の質感が大の苦手。触っていると耐え難い不快感に襲われる

 

...など。

ちなみに「アスペルガー症候群と特徴は一致するが、それほど顕著ではないレベルの症状」を「PDD-NOS」と言ったりするみたいです。だから僕は正確に言えばPDD-NOSなのかなと思いますが、「アスペルガー症候群のグレーゾーン」とした方がわかりやすいので一応こうしておきます。

 

 

もう少し詳しく。

グレーゾーンだという結論に至ったのは、僕が「社会適応能力」と「コミュニケーション能力」を十分に有しているからです。空気を読んだり、相手がどう思うかを考えて動くのは人並みにできますし、街で知らない人と50分間フリートークをしたこともあるので、外側から見れば「普通の人だ」と思われているのかもしれませんね。

 

 

ただし。僕はなんだか、「普通であること」にこだわってしまっていたような気がします。

今の世の中、「普通であること」って未だに強いんじゃないかと思います。社会の最大勢力は「普通」ですから、その普通の中で普通にやっていけば、難なく生きていける。嫌われにくいし、認められやすい。

僕は「君、なんか変わってるね」としばしば言われて育ってきた人です。決して悪い気分にはならなかったし、褒め言葉として受け取っていた時期もありました。

しかし、「あ、そういうやり方するんだ」など、"あなたは普通ではない" "人とは違っている" と解釈できることを言われると急に不安になり、「普通という強力な規則」への依存感を強めて普通を獲得し、安心感を得る、ということを時々やってきたものです。

 

 

ところが、発達障害という視点を持って周りを見てみると、意外とグレーゾーンの人って多いような気がしてきたんですよね。そこで「まあ別に無理して普通を目指さなくてもいいか」と、さらには「普通じゃなくても強い人っていっぱいいるなぁ」と思うようになりました。ただ「普通は割と強い」という考え方は未だに変わりそうにないですね。

 

 

<その他>項目にあるように、「自分で納得のいくものしか世に出したくない」はブログ書いてるときでも結構出ちゃいます。「あーこれだめ」と思って下書きの保存もせずにすぐ書くのやめちゃったブログとか大量にあります。

 

 

2021/6/17 追記

中2の夏休み、初めてADHDの存在を知った時のことを思い出したので書いておきます。中2の1学期、提出物を全然出しておらず、夏休みの三者面談でそれが親にバレまして。

https://note.com/yubeshiroishi/n/nf5dce7ea5906 詳しいことはこっそりとnoteに書いてあります。

まあとにかく「なんで自分だけこうなんだろう」と思ったのです。そこで、Googleで「忘れ物 多い」とか「提出物 出せない」とか調べると、一番上に「それってADHDかも?!」みたいなリンクが出てきました。僕はそれで初めてADHDというものを知ったのでした。

親に「ADHDかもしれない」と言ったのですが、今まで叱られていたのとは打って変わって「そこまで気にしなくてもいいよ」と言われまして、それはそれで少々腑に落ちない気分だったのを覚えています。まあ...気にしすぎも毒ですからね。親はそれをわかっていたのだと、今となってはそう思うのです。

僕もなんとなく、「ADHDを理由につけて逃げているような気分」をなんとなく感じとるようになって、もうそれでADHDを気にするのはやめました。

 

病院で検査を受けるということはしませんでしたし、受けるまでもなく自分はADHDには当てはまらないと思っています。