ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

誰に言ってもどうにもならないはずのことをありのままに書いてみる

僕は現代社会の生活に向いていないかもしれない。

 

大学受験よりも就職活動の方が大変だと感じる人が多いらしい。ちょっと待ってくれよ。僕は高校受験で1回、大学受験で2回も死ぬ思いをしたってのにマジかよ。

 

別のブログでも書いたんですが、僕は興味がないことに対する忍耐力や我慢強さが普通の人と比べると大幅に欠けていて、それが小学3年生から始まった忘れ物地獄、宿題・提出物出せない地獄の原因であると分析しているんだけれども、そもそもそんな僕みたいな人間って社会に出る資格あります?

 

考えてみれば、自分にこんなに自信が持てないのは、自分の忍耐力のなさのせいで「努力ができない」「勤勉さが足りない」「不真面目」であると他の人に思われたり指摘されたりしてきた経験があるからだろうなと思う。

中学時代、みんな提出物を日時までにやり終えて、学校に持って行って「当たり前のように」提出していたのに、僕は持っていくどころか全然やってすらいなかった。そんな普通のことが満足にできない人間だった。あまりこういうのを、病名や症候群の名称で片付けたくはなくて、できるだけ精神分析によってその理由やメカニズムを解明したいと考えているんだけれども、なぜ中学時代の自分がそんなに「できない」人間だったのかは本当に分からない。

 

みんな普通にやっていることが自分にはできないという苦しさ。これを僕は高校受験で味わって、大学受験でも味わって、多分、いやほぼ確実に就職活動でも味わうことになると思う。それほどに「当たり前のことができない自分」がいて自信を持てないまま、大学生になってしまった。

パーソナリティの形成というのは、主に環境と遺伝子という二つの要素が絡み合ってくるものだが、もしかしたら本当に全て自分のせいで、自分の怠惰が原因でこうなっているのかもしれない。しかし、もう下がるところまで下がった自己肯定感をこれ以上さらに下げるようなことはできない。だから、自分を否定するのではなく、肯定する方向へと思考が動いていく。

 

ここから生まれる自分自身への怒りや葛藤は、次第に周囲や社会、地球や人類といったマクロな物体、概念にその矛先が向けられていった。なぜ受験などしなければならないのか、なぜ会社は学生にリクルートスーツを着せておきながら、個性をアピールしなさいなどという矛盾も甚だしいことを言うのか。そもそもなぜ地球に人類が生まれてしまったのか。このような問いは高校受験期から尽きることなく、小川の水のように源流を点として永遠に流れ込んでくる。

 

かくして、人生という軌道の上で感じたネガティブな感情は、結果的にその多くが哲学的な問いに収束する。僕は哲学をしすぎると鬱になるタイプの人間なので、ほどほどにしなければならないが、それでも出てくる「なぜ」が多すぎるあまり、絶望的とも言える将来への悲観的観測の出現に歯止めがかからないままである。

 

いつの間にか、こういった「なぜ」を家族にすら話さず、ただ一人で考え込むようになっていた。図鑑や歴史漫画を黙々と読んでいる子どもだったので、元々こういう内省的な人間だったのかもしれない。しかし一番大きいのは、周囲を心の底から信用することができなくなったということである。

・こういうことを話しても、明確な答えは得られないだろうという失望感

・自分の思考が否定されるのではないかという警戒心

・築き上げてきた問いが根本的なところから覆されるのが怖いという恐怖感

おそらくこの3点が原因である。この3点を生み出してしまう精神構造の原因も粗方判明しているが、詳しい記述は省略。いずれにせよ、人を信頼するのが苦手、頼るのが苦手というのは、日頃から一人で抱え込みがちで、いざという時に思うように周囲へのはたらきかけができなくなるということを意味する。...というのは理屈では分かっていても、なかなか精神構造が追いついてこない。サッカーをしたいのに骨折をしていてできないのと同じようなものだろうか。

 

自分に自信がないとか、人を頼るのが苦手であるとか、当たり前のことができないとか、そういった精神的に不健康な面を抱えながらも、僕は一応生きることができている。しかし、正直言っていつ鬱状態になってもおかしくない状態だ。心のそう深くないところに「自殺」の二文字が恒常的に潜んでいるのを感じている。これも全て自分への失望、将来への絶望、申し訳なさ、後悔、怒り、葛藤などのネガティブな感情が引き起こした精神疾患の一つだと考えている。

 

 

まじで就活がこわいです。就職できたとしても無能のまま成長できないんじゃないかと考えてしまう。あと卒論とかまともに書けなさそう。