ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

これからの地方創生

地方創生。地方の衰退。

昨今の日本ではこれらに関する議論が活発になっている。

国から地方自治体に対する交付金補助金の制度も設けられ、ふるさと納税の存在もあって、地方自治体は活気を取り戻している......

 

というわけではないようだ。

 

 

この記事では、地方都市の現状について考え、それに対する私見を述べていきたい。

なお具体的な資料は示さない模様

 

地方がなぜ活性化しないのか。

結論から言うと、国が地方の自治体にどれだけお金を配ろうと、そのお金が散り散りに消えていく構造になってしまっているから、ではないかと考えている。

 

多くの地方自治体にとって、国からの交付金は公共事業を行う上で欠かせない、非常に重要な財源となる。しかし、今の日本は人口減少に歯止めがかからない状態だ。人口が減るということは、その分税金を納める人が減るということであり、それは自治体の減収に直結する。

しかも、地方には仕事場が少ない。若者は教育を受けた後、東京や大阪などの大都市圏に働きに出て行ってしまう。働き手がいないので仕事も生まれない。仕事がないのでさらに若者が流出する・・・・・・という悪循環。

この悪循環が、地方への交付金を水の泡にさせる「経済構造」なのではないかと私は考えた。

 

公共事業を行うときでも、専門の局を持たない自治体は、その施工行程を民間事業者に委託することがあり、特に道路・河川などの重要なインフラ事業で委託例が多いような気がする(体感の話で申し訳ない)。

もし委託するとなった場合、自治体は委託先にどういった事業者を選ぶだろうか。もちろん、公共事業にふさわしい、確かな信頼と実績のある事業者を探し回ることだろう。

そういった事業者は、地方ではなく、東京や大阪などの規模の大きい都市圏に集まっている。その方が生産性の向上が見込めるからだ(集積の経済ともいう)。

つまり、同じ地域内での経済活動が生まれず、せっかく自治体に交付されたお金が、公共事業により東京や大阪に流れて行ってしまうということである。これでは、自治体がたった数回の発注で楽をするだけで終わってしまう。

 

だから、地方の衰退を目の当たりにしたときは、まず「地域内でのカネ回り」を観察すべきではないかと思う。

その地域内で仕事をどこまで完結できるのか。どこまでニーズを満たせるのか。そういう観点で見ると、地域の「持続可能性」がいま問われているのではないか。

 

 

 

しかし、カネ回りが良いにせよ悪いにせよ、人口減少による自治体の税収減は絶対に免れないことだろう。地方自治体のなかでも、とりわけ交付金補助金への依存度が高いところについては、そのやりくりには今後相当に悩まされることだと思う。

地方創生を名目にした経済的な支援があろうと、増え続ける社会保障費の存在を考えると、国がどこまで地方創生を支援し続けてくれるのかは、非常に不確定的である。

 

 

 

そもそも「地方創生」と一口に言っても、自治体ごと、地域ごとに「目標」としているものが違う。あるいははっきりと定めていないところも多いだろう。

最近よくクローズアップされるのが「商店街」である。ほとんどのテナントがシャッターを降ろし、活気を失った「シャッター街」として報道される場所もあれば、「ある取り組みが功を奏し、以前の活気をとり戻した!」と、成功例として取り上げられる場所もある。

確かに後者のような成功例は、地方創生に新しい風潮を生み出すことに繋がるだろう。しかし現実的に考えて、すべての商店街が以前の活気を取り戻すのは、些か無理があろうと思われる。

そもそも、商店街は本当に必要なのだろうか。

私は、広大な駐車場と豊富なテナントを持つイオンの方が便利だと思う。イオンはよく商店街を潰す敵のような扱いを受けるが、「便利かどうか」という指標はとても大事だ。便利な施設は公益性があると言えるし、運営団体にとっても収益性がある。収益性があれば、そこから地域経済の活発化の糸口が見いだせるかもしれない。

 

本質的な課題は、以前の活気を取り戻せるかどうかではない。社会の変動に伴って発生する、半ば不可抗力の損失をいかに抑えられるかどうか、である。

 

地域の持続可能性と、商店街の存在価値。

 

 

 

果たして地方創生はどこに向かっていくのだろうか。

日本全国の商店街たちは、どういう選択肢を考え、どの道へ進んでいくのだろうか。