note移行のお知らせ
2022年6月末をもって、はてなブログからnoteへ移行したいと思います。
理由は「はてなブログよりもnoteの方がUIデザイン的に好き」だからです。
......え?あ、いや、もちろんそれだけじゃないですよ!!ログインしなくても「スキ!」を押せることとか、閲覧した記事の管理がしやすいこととか。
尤も、はてなブログの方がHTMLを自分で組めたり、デザインを選べたりと、カスタマイズ性は高かったのですが、さすがにそこまでやる趣味はありませんでした。南無。
・・・
はてなブログを始めたのは2020年1月のこと。当時私は高校2年生で、自分が作ったものを記録する場所が欲しくなって始めたのですが......。
いつのまにか、気が向いたときに記事を書いては、しばらく飽きて、また気が向いたときに記事を書くというマイペースなブログ運用をするようになりました。
明確な意図を持ち、推敲を重ねて書き上げた「自信作」もあれば、脳死で適当に書いて投稿したものもあり、そして納得が行かず非公開に閉ざしたままの下書きもたくさん生んでしまいました。
そんな感じでまったりとやってきたつもりだったのですが、2年半の間に投稿してきた記事数は、なんと40に達していました。
自分で読み返しても稚拙なものばかりですが、赤ちゃんが最初から喋ったり字を書いたりできるわけがないのと同じで、私もまだまだこれからだなぁと思います。
でも文章を書くのはちょっとうまくなった気がしなくもないよ。
自分の人生にとって結構重要なことも書いてきたので、はてなブログが光の速さでサ終して閉鎖したら、割と悲しいのですが、まあ......。そんときはそんとき。
・・・
そんなわけで、40の記事を書いてきたはてなブログとはUIデザイン的にお別れして、noteにお引越しです。
안녕히 계세요.
↓お引越し先↓
これからの地方創生
地方創生。地方の衰退。
昨今の日本ではこれらに関する議論が活発になっている。
国から地方自治体に対する交付金や補助金の制度も設けられ、ふるさと納税の存在もあって、地方自治体は活気を取り戻している......
というわけではないようだ。
この記事では、地方都市の現状について考え、それに対する私見を述べていきたい。
なお具体的な資料は示さない模様
地方がなぜ活性化しないのか。
結論から言うと、国が地方の自治体にどれだけお金を配ろうと、そのお金が散り散りに消えていく構造になってしまっているから、ではないかと考えている。
多くの地方自治体にとって、国からの交付金は公共事業を行う上で欠かせない、非常に重要な財源となる。しかし、今の日本は人口減少に歯止めがかからない状態だ。人口が減るということは、その分税金を納める人が減るということであり、それは自治体の減収に直結する。
しかも、地方には仕事場が少ない。若者は教育を受けた後、東京や大阪などの大都市圏に働きに出て行ってしまう。働き手がいないので仕事も生まれない。仕事がないのでさらに若者が流出する・・・・・・という悪循環。
この悪循環が、地方への交付金を水の泡にさせる「経済構造」なのではないかと私は考えた。
公共事業を行うときでも、専門の局を持たない自治体は、その施工行程を民間事業者に委託することがあり、特に道路・河川などの重要なインフラ事業で委託例が多いような気がする(体感の話で申し訳ない)。
もし委託するとなった場合、自治体は委託先にどういった事業者を選ぶだろうか。もちろん、公共事業にふさわしい、確かな信頼と実績のある事業者を探し回ることだろう。
そういった事業者は、地方ではなく、東京や大阪などの規模の大きい都市圏に集まっている。その方が生産性の向上が見込めるからだ(集積の経済ともいう)。
つまり、同じ地域内での経済活動が生まれず、せっかく自治体に交付されたお金が、公共事業により東京や大阪に流れて行ってしまうということである。これでは、自治体がたった数回の発注で楽をするだけで終わってしまう。
だから、地方の衰退を目の当たりにしたときは、まず「地域内でのカネ回り」を観察すべきではないかと思う。
その地域内で仕事をどこまで完結できるのか。どこまでニーズを満たせるのか。そういう観点で見ると、地域の「持続可能性」がいま問われているのではないか。
しかし、カネ回りが良いにせよ悪いにせよ、人口減少による自治体の税収減は絶対に免れないことだろう。地方自治体のなかでも、とりわけ交付金や補助金への依存度が高いところについては、そのやりくりには今後相当に悩まされることだと思う。
地方創生を名目にした経済的な支援があろうと、増え続ける社会保障費の存在を考えると、国がどこまで地方創生を支援し続けてくれるのかは、非常に不確定的である。
そもそも「地方創生」と一口に言っても、自治体ごと、地域ごとに「目標」としているものが違う。あるいははっきりと定めていないところも多いだろう。
最近よくクローズアップされるのが「商店街」である。ほとんどのテナントがシャッターを降ろし、活気を失った「シャッター街」として報道される場所もあれば、「ある取り組みが功を奏し、以前の活気をとり戻した!」と、成功例として取り上げられる場所もある。
確かに後者のような成功例は、地方創生に新しい風潮を生み出すことに繋がるだろう。しかし現実的に考えて、すべての商店街が以前の活気を取り戻すのは、些か無理があろうと思われる。
そもそも、商店街は本当に必要なのだろうか。
私は、広大な駐車場と豊富なテナントを持つイオンの方が便利だと思う。イオンはよく商店街を潰す敵のような扱いを受けるが、「便利かどうか」という指標はとても大事だ。便利な施設は公益性があると言えるし、運営団体にとっても収益性がある。収益性があれば、そこから地域経済の活発化の糸口が見いだせるかもしれない。
本質的な課題は、以前の活気を取り戻せるかどうかではない。社会の変動に伴って発生する、半ば不可抗力の損失をいかに抑えられるかどうか、である。
地域の持続可能性と、商店街の存在価値。
果たして地方創生はどこに向かっていくのだろうか。
日本全国の商店街たちは、どういう選択肢を考え、どの道へ進んでいくのだろうか。
創作論
現実で思いついたままに言い放った一言「創作の本質は自己満足なんですよ」。
私はこれを言い放ってからというもの、自分が「満足感を得ることに貪欲な生き物」に化けないかヒヤヒヤしている。
満足感を得る、といっても、満足するための"条件"は人によって違うし、もっと言えばただ一人の人間のなかでも、状況や気分によって変わってくるものである。
どういう条件を満たせば満足できるかというのは、その条件を満たした後の自分にしかわからない。そうすると、今度は「条件探し」が始まってしまう可能性がある。満足するための条件を考え、探し求めるようになる。
それは創作と言えるのだろうか。
...とまあ、変な危惧をしつつも、自分なりの創作哲学を考えるのに最近ハマっている。
この前ふと思ったのは「カタチにすることだけがクリエイティブではない」というもの。以下、私のTwitterより引用。
「カタチにすることだけがクリエイティブではないよなと思う」
「前までは『クリエイティブ』の定義を拡大させていくことに抵抗があったけれど、それは『誰が見てもクリエイティブと言ってくれそうな自分の活動』に自信を持ちたかっただけというかなり愚かな考えから来たものだった。そんな人間が作るものには必ず何か邪な思考が透けて見えるようになるのだと思う」
「創作で一番大事なのは自分が満足すること(あるいは満足できるまで追求すること)だと思っているので、『どっちが上か下か』などとモノサシをつくって測るもんじゃないよね」
引用終わり。
個人的に一番共感(←?)できるのは、「創作で一番大事なのは(中略)満足できるまで追求すること」という文言。
これがまさに、自分の創作手法を的確に表したものだからだ。
気になるのは、「満足感」の源は何なのかということだ。
例えば受験の世界では、レベルの高い志望大学に受かったとき、「自分が勉強の世界で上位のレベルになれたこと」に満足感を覚える人もいれば、「自分が行きたかった大学に受かったこと」に満足する人もいる。
この2つはそれぞれ異なる「欲求」を源としているような気がする。自分の創作哲学により近いのは後者だが。
逆に前者は、自分の創作とは相容れない要素を持っている。それは「競争心」である。
ときに競争心は計り知れない原動力になるが、その分普段の精神状態にとっては大きなリスクとなる。上に行くという感覚はつまり「誰かを見下すこと」に等しく、さらに言えば「誰かに見下されている感覚」を持つことにもなりうる。自分は彼よりも能力的に優れているとか劣っているとか、そういったネガティブな感情が入り組んだ状態というのは、自分が望む創作のあり方ではない。
私がここで述べておきたいのは「人間できることもあればできないこともある」という旨ではない。ただ単に「"自己満足" で完結できる世界に、わざわざ競争心を持ち込む必要はないはずだ」ということである。
...
人間は、集合すると共同で何かを生み出そうとしたり、役割を決めて仕事を行うようになったりする。そのコミュニティが何を目的としているかにもよるが、基本的には「コミュニティへの貢献」、つまり「各々の仕事の出来栄えや能力」が、コミュニティ内での "その人の存在価値" をやがて決定するようになる。
平たく言えば、「人間は集まると勝手に競争を始める」ということである。
この性質が、創作を軸とするタイプのコミュニティにおいては非常に厄介なものとなる。
人間が普遍的に持つ競争心や生存欲求は、皮肉にも「競争の発生・激化」という過程を経て、コミュニティの質を向上させていく。質の向上に貢献できなかった(と感じる)者は、次第に存在価値と自己肯定感を失っていく。
創作団体は現代的なものだが、その中で渦巻く人々の心理というものは非常に原始的である。
どれだけ創作に競争心を持ち込まないように全力を尽くそうとも、人間の性というものか、人が集まれば集まるほど、それは限りなく不可能に近づいていく。
だからこそ、「コミュニティに貢献できたかどうか」ではなく「自分が満足できたかどうか」を大事にするべきなのだと私は思う。
2次元の世界はどこにありますか
この世界には、おびただしい数の「良いこと」と「悪いこと」がある。ありすぎて困っている。
どう困っているかというと、もうその多さに疲れてしまっている。耐えられなくなってしまっている。
「良いこと」「悪いこと」というのは、何も世界の出来事だけを言っているのではない。自分の心のなかにあるものから、人間関係、物体、思想……。とにかく際限のない範囲にあるものすべてを指す。それらは、視点によって良いことにもなるし、悪いことにもなる。
例えば「Aさんは泳ぐのがすごく上手い」という事実があれば、それはAさんにとっては「良いこと」だが、Aさんのライバルにとっては「悪いこと」かもしれない。
今の私は、この世にたくさん散りばめられているはずの「良いこと」が、目立ちがちな「悪いこと」によって掻き消され、見えなくなってしまっている。
私は元々、「良いこと」だけを取り出して見る能力を持ち合わせてはいたが、残念ながら現代人に必要とされる「様々な角度から物事を捉える視点」をある程度のレベルまで養ったために、その裏側の「悪いこと」も見えるようになってしまった。
良いことだと思ったら悪いことでもあった。何度もこの経験を繰り返したあるとき、ようやく私は世の中の複雑さを理解した。十分すぎるほどに、とまで言える自信はないが、「ここはRPGの世界のように、敵と定められたNPCがいるわけでも魔王がいるわけでもない」と悟ったことで、自分の人生の意義や存在の意義を見出すのが、2次元の世界にいる彼らより難しくなっているのを感じた。
いつからか、音MADを嗜むことが生き甲斐の一つになった。世界から音MADが消えたら生きていけないかもしれないほどに。
音MADが存在する限り、私は音MADを嗜むことを生きる理由にしていられる。この構図は、私が心のどこかで求めている「単純さ」を持ち合わせている。生き甲斐とは、世の中の複雑さから一時的に解放される機会を与えてくれるありがたい存在なのだ。
...
人間は死ぬと二度と戻ってこれない。逃げ場のないこの世の中で、自分の目に映る「悪いこと」を排除する手段として、「死」を選ぶのはいささかリスクが大きすぎる。その分「良いこと」も失うことになるからだ。
そういうわけで、この世界から一時的に離れたいという私の願望が「2次元の世界に行きたい」という発想を生み出した。2次元の世界は、この世ほど複雑でないかもしれない。この世ほど「良いこと」は少ないかもしれないが、「悪いこと」もその分少ないかもしれない。どうだろう。一度行ってみる価値はあるのではないか。ただし、再び戻ってこれるのなら。
経済から日本の行く末を考えて......みたかった
「日本の行く末を考えてみる」という大口をたたくようなタイトルですが、僕はちょっと本気です(真顔)
アグレッシブな文章はあまり書かないようにしますが、もしかするとこれ以降の文章に何かしらの含みが滲み出ているかもしれませんので、予めご了承願います。
ってことで、なんで急にこんな文章を書こうと思ったかということなんですが、最近大学で「都市の経済学」という授業が始まりまして。昨日はその第3・4回目の授業だったんですね。それでその授業がまあ結構難しくもあり、面白かったのでした。
......というのだけが理由ではなく、最近AbemaTVとかTBSのYouTubeチャンネルで、2019年や2020年の過去動画が出てくるようになったんですよ。どういう内容の動画かといいますと、場面緘黙症だったり、チック症やトゥレット症といった、なかなか我々が目にする機会のないテーマでしたから、気になって見てみたのです。するとそこから、社会が抱える問題について漠然とした興味が出てきて、無戸籍とか消えた留学生問題に行きつき、そういったテーマを取材した動画を見終えたところで今このブログを書いている、という次第です。
主軸を決めて何かを論じるというのは、大学のレポートでもない限りやりたくない(わがまま)ので、理論を崩さない程度に書いていきます。
では本題に入ります。
日本の経済は、大きく考えると「政府」「企業」「国民」の3要素に分類されます。
この3要素により、下のスライドに書いてある通りのお金の流れが生まれ、経済が出来上がっているというわけです。
では、試しにどこかの要素をいじくってみましょう。
そうですね、じゃあ企業をいじります。
例えば企業がケチりだして、十分に国民に与える給料を減らしたらどうなるか。
答えは簡単ですね。収入が減った国民は消費を抑えます。企業がケチれば国民もケチる。すると、今度は企業側に入ってくるお金が少なくなります。企業は法人税で利益の一部を政府に吸われているので、今月は苦しそうですね。
あ、どうやら困っているのは企業だけじゃなさそうですね、政府も嫌な顔してます。まあそうですよね。企業と国民から入ってくる税金がいずれも減ったしまったわけですからね。これでは公共サービスの質が落ちてしまう。
このように経済はお金の流れなので、企業をちょっといじっただけで、ほかの2つにもクソデカい影響が出てしまいます。これは論理的に理解できることです。
ん?ちょっと待ってくださいよ。
なんで企業はケチったんですか?
...
......
これもう分かんねぇな...(諦め)
経済は論理ですから、何か原因はあるはずなんですが、その原因は1つとも限らないわけですね。複合的というか、1つ1つ紐解いていかないとどうにもならない問題が多すぎるような気がします。
だから経済学者ってすごいと思うんですよね。経済学の中にも様々な分野はあると思うんですが、世の中の無数の動きが絡み合って生まれた1つの問題を考えていかなければならないんですから......。
「なぜそうなったのか」「これからどういったことが起きるのか」「解決するためにはどうすればよいのか」...こういったことを考えるのは何も学者さんたちだけの仕事ではないですし、一般人の僕でも普通に興味を持つことはありますからね。
特に未来に関しては。
別の授業で、ある教授はこう言いました。
「君たちがこれから生きていく2040年、50年代はとても大変な時代になると思う」
これを聞いて私は少しびっくりしたのです。
昔は「モーレツ社員」だとか、「24時間戦えますか」というキャッチコピーが生まれたほど労働にあふれた時代で、昔の方がキツいと思っていましたし、これからの日本は国力は落ちるけれども、科学技術は進歩して今よりも便利で過ごしやすい時代になるだろうと思っていたからです。
その教授の言葉は、どうやら「個々の力」に関して主軸を置いているようでした。つまり、一人一人の生産能力なのだと思います。
単なる捉え方の違い、とも言えそうですが、しかし「別の捉え方」というのも新しい視点なわけですから、ここはひとつ、データを持ってくることにします。
こちらには、4つめのページにこれからの上位20か国のGDPを予測したデータが載っています。
https://www.pwc.com/jp/ja/japan-knowledge/archive/assets/pdf/world-in-2050.pdf
普通のGDPランキングとは違い、PPPに基づいたデータなので、よく目にするデータとは少し違います。
PPPとは、購買力平価説といって、同じ商品をその地域ではいくらで買えるかということのようです。購買力とは、つまり消費が行われる量、もっと言えば「経済の活発さ」に関わってくる話...だと思います。
日本は給料の割に物価が高い国なので、PPPは低くなりがちで、上のpdfの表では順位が下がっています。企業の総生産は多いのに、国民の消費は少ない。
そんな日本の気になるGDP予測ですが、上の表では2030年では2011年と同じ4位をキープしているものの、2050年では5位に下がっています。
しかし、GDPの数値を見てみれば、2011年→2030年は4,381→5,842(10億米ドル)なのに対し、2030年→2050年は5,842→8,065と、意外とマシな伸びをしている印象です。というかインドの伸びやばいですね。
他にも東洋経済の記事とか引用できそうだったんですが、そろそろ書き終えないと飽きそうなのでやめときます。
GDPという数値から経済を見ると、私はある考えを持つようになりました。
それは、「経済力は簡単に引き上げられるものではなく、働き手を増やしたり、雇用を作ったり、より高いレベルの教育を行ったり、いろいろな施しをバランスよく行わなければ、経済力の向上は達成できないのではないか」というものです。
最後にwikipediaのとあるページを紹介します。
国際成人力調査。聞いたことないですね。でもなかなか面白いデータですよ。ぜひ読んでいただき、いろいろ考えてみてほしいのですが、かいつまんで説明すると、「読解力」「数的思考力」「ITを活用した問題解決能力」の3つの調査項目すべてにおいて、日本の平均点数が最も高いという結果になっています。
wikipedia曰く、成人を対象に2011年から2015年くらいに行った旨の記述があるので、日本でこの調査に参加した成人は少なくとも1995年以前に生まれて、2000年代頃までに教育課程を修了した人たち、ということになります。
現在ではバリバリ働いている人たちが受けてきた教育は、国際成人力調査が示したように、「当時は」非常にレベルの高いものだったわけです。
どういった教育が「レベルが高い」といえるのかは、時代によって異なります。当時は、日本の教育のやり方が上手くいっていたということになりますが、ITが普及している今はそうではないかもしれないのです。それでも、日本の根本的な教育内容はずっと変わっていません。
経済の話には政治も関わってきます。自民党こそ勢いを失っていませんが、存在感のあった立憲民主党が大コケしたり、ローカルな印象のあった維新の会が大きく議席を伸ばすなど、この前の衆院選では動きがありました。
日本の行く末は、究極的に言えば政治家が握っています。どこを改革して、どこを現状維持するのか。維新の会が議席を伸ばした要因は、「自民党が放棄した改革の旗を持つようになったから」とする見方があります。
なんでも変えまくればよいというものではありません。しかし、このままでは本当に日本社会は凋落してしまうんじゃないかと思います。インドでIT系の職業が人気になったのは、まだITがカースト制度に当てはまらない職業、つまり身分に関係なく手を出せる職業だからだと聞いたことがあります。このインド社会の変革は、GDP予測にも表れています。
経済の学術的なことは学者の方に任せたい。でも興味のある分野は普段から結構考えています。
それでも私には、まだ具体的な提案は思いつきません。何もわからないのです。
失われた期待感
受験終了後(2021年2月20日頃)に書いた文章に若干の改変を加えた。当時の自分の精神分析によって得られたものであり、思い出深いので公開して残す形となった。
-本文始-
合格の2文字を見たとき、感じたのは嬉しさでも、達成感でも喜びでもなかった。
何も感じなかった。「無」だった。
明らかにおかしい。本来湧き上がるはずの感情が、そこには存在しなかった。失われていた。僕はあれだけ頑張って、諦めずに努力を重ねてきて、それで一体なぜ達成感が微塵もなかったというのか。
まず、覆されることのない前提として、僕は受験を強く恐れていた。
" 僕は勉強が嫌いだ。できればしたくない。でも受験は必ずやってきて、逃げる事はできない。嫌いな勉強を死ぬほどやらなければならなくなる。果たして自分にできるだろうか。不安で仕方がない "
また、受験が持つ特質も関係してくる。
" 第一志望は決して難易度も倍率も低くはない。その上僕は勉強が嫌い。しかし、これは自分で決めた目標だ。達成できないと、自分で決めたこともまともに達成できない「できそこない」になってしまう。親にも迷惑をかけるし、その上自分は、望まない道を歩むことになる。真っ暗で退屈な道。迷惑をかけておいて歩むのがそんな道… "
受験への漠然とした、巨大な不安感がそこには確かに存在した。
高校受験のとき、あの冬休みで死にかけていたのを思い出すことがあった。その記憶を振り返る度、僕の心の奥底では、以下のような心理がはたらいていたのではないかと思う。
" できればそんなつらい思いは二度と味わいたくない。つらい思いをしたくない、ショックを受けたくない。ショックを受けないようにするには、最初から自分に期待しなければいい。"
人間の意識には何層かの階層がある(と僕は考えている)。最上層は、すぐに発話ができるくらいハッキリと具体化された思考や感情。中間層は、ハッキリとしてはいないが、その存在は自分で認識できる。最下層は、その存在すら自覚することができない。
自分に期待をしてはならない、という意識は、最下層、すなやち自覚できないほど深い領域で蠢いていた。それが、失われた達成感の原因になったと考えられる。
僕は自分への期待をやめたつもりは全くなかった。少しでも勉強が上手くいけば、「この調子で頑張ろう」と自分を鼓舞していた。しかし、今よく考えるとあの鼓舞には、なんだか中身のない、ハリボテのようなものを感じざるをえない。当時の僕は、それに気づかなかったのか、あるいは気づきたくなかったのか。
作られた鼓舞。なるほど、期待をするのは上辺の僕に任せ、内部ではしっかりと期待感の生成は止められていた。
達成感や喜びというのは、それ相応の期待感があって感じられるものであって、僕が達成感を感じなかったのは、そもそもの期待感がからっぽだったからであろう。
期待感の生成を、自覚不能な深い領域の段階で強く押さえつける。しかしこのメカニズムは、僕が自身の死を回避するために生み出したものといえるかもしれない。
受験に失敗したとき、もしこのメカニズムがなかったら、それまでに生成されてきた期待感、そして巨大な不安感が一気に変換され、処理しきれないほどの絶望感となり、燃え尽き症候群を発症して死んでいた可能性が考えられるからである。
一般的に人々が考える受験生とは、受験を良い結果で終えれば、嬉しさと達成感であふれかえるものだ。
僕はそうではなかったのだった。
-本文終-
自分に期待をしないことが生きるための術となってしまったのは、もう仕方のないことであるが、それでも虚無感というのは非常に恐ろしいものだと思う。
あれだけ勉強が嫌だった僕も、正月ののんびりした空気の中で「勉強をしていないと落ち着かない」と感じるようになっていたから、不安感は人を奥底から駆り立てるものなのだなと思った。
しかし、それが人間らしいことなのか、それについては疑問が残るままである。
朝鮮半島の "もし"
日本と朝鮮半島は、古来から様々な分野で関係を持ち続けてきた。
19世紀後半から20世紀前半にかけては、日本が朝鮮半島に対して優位に立つという関係であったが、それは日本の敗戦と、90年代の韓国の経済成長によって薄れてきている。
特にサムスン電子が誇る半導体製造技術はすさまじく、2020年の世界半導体売上ランキングで、Intelに次いで2位にランクインしている。
この30年で大きく発展を遂げた韓国だが、私はここで1つの「もし」を考えてみたくなった。
それは、「もし朝鮮半島がもう少し南にあったらどうなっていたのか」である。
白地図専門店 からDLの上、加工。
上図は、私の想定する朝鮮半島の姿である。
早速想像を広げていきたいところだが、その前に現実の朝鮮半島が、その姿によってどのような道を歩むことになったのかを素人レベルで考察していきたい。
白地図専門店 からDL。
現実の朝鮮半島を、地理的な側面から見てみようと思う。
韓国の首都ソウルは、ケッペンの気候区分においては温帯夏雨気候だが、大陸性気候の一面もあり、シベリア気団の影響で冬は緯度の割に冷え込む。
ソウル近郊の都市は亜寒帯に属することもあるから、半島全体で考えると「寒冷」であると言える。
その寒冷な気候からか、韓国は山間部を中心に、寒さに強いマツの木がやたら多かった(体験談)。
山脈も多い。東岸スレスレに巨大な山脈が走っており、そこから南西に向かうように、いくつもの小さな山脈が、朝鮮半島全体にゼブラ状に飛び出ている。
韓国には大きな川は存在しない。ソウルと釜山を結ぶ川などというのは一切なく、それぞれの広域圏内で完結してしまう。東京から茨城くらいの感覚だろうか。
一方で北朝鮮には、中国との国境付近から流れ出て平壌を経由し、西岸部に至る大同江という川が存在している。ただ、どの河川も川幅は決して広くない。
これらから考えられることはまず、歴史的に見て朝鮮半島は閉鎖的な特色が強かったのではないか、ということである。
南北に広い朝鮮半島だが、その南北移動を行うには、川なしでいくつもの山を越える必要がある。相当にハードである。
中国は黄河や長江といった巨大な河川が存在していたため、「川の上流を支配したグループが、次の王朝の座に君臨する」というジンクスさえ生まれたが、朝鮮半島においては人・モノの流動性がなく、結果的に半島を統一した高麗や李氏朝鮮などが、長い間支配を続けるということが起こった。
加えて指摘しておきたいのが、韓国の木材自給率の低さである。先述の通り、寒冷でやたらマツの木が多い韓国だが、マツの木は伐採すべき適切な時期が決まっており、年間を通じていつでも切ってよいというわけではないため、流通量に限りがある。結果、日本産のヒノキの需要が高まった事例がある。
朝日新聞デジタル:日本の木材、韓国で人気 - 広島 - 地域
温暖な朝鮮半島南部の韓国でさえ輸入に頼っているのだから、北朝鮮の自給率はさらに低いのかもしれない。
木材資源に乏しい朝鮮半島。現代でこそ輸入に頼ることができるものの、果たして近代以前の朝鮮半島では、いかにして木材不足を乗り切っていたのだろうか。先人の苦労があったことは想像に難くない。
奈良時代の日本人は、唐の長安を模倣して平城京を作り、また高麗人の末裔が建てた渤海国も同じように上京竜泉府(東京城)を牡丹江のほとりに作ったが、当時朝鮮半島を支配していた高句麗でそのような大都市が興らなかったのは、やはり川と木材資源の少なさが関係しているのかもしれない。
ここからは、いよいよ想定上の朝鮮半島について、年代順に考えていく。
※朝鮮半島が持つ地形的な特色(河川の少なさ、山脈の多さ)や、現実に存在する場所と地名はそのまま引き継ぐものとする。
まず、現実の朝鮮半島と想定上の朝鮮半島とで、ハッキリと違いを示すであろうものがある。
それは、半島西岸部の都市規模である。
上図を見ると、上海~平壌・仁川・洪城(ホンソン)・木浦(モッポ)間における海上移動がいかにも盛んになりそうな気がしないだろうか。
したがって、中古代においては、以下の航海ルートが想定される。
地名はすべて現代のもので表記している。
青島⇔A都市(架空部分のため地名なし)間は比較的希薄な関係になる可能性があるが、中古代のこの朝鮮半島においては、南西部の木浦や洪城が大きな港湾都市となっていたと見てよいだろう。
また気候で見れば、半島南部から仁川付近までは温暖湿潤気候となるため、南部には生育のしやすい南北間で植生のバリエーションが生まれ、長安モデルの大都市を作り上げるだけの木材資源を確保できた可能性がある。
そうでなくとも、中国から見ると重要な市場となっていたことは想像に難くない。
しかし、長安はかなり内陸部の方にあったため、そもそもこの朝鮮半島が存在していたら、長安という都自体が存在しなかったか、或いは同規模かそれ以上の都市が上海付近に建てられていたのかもしれない。(上海という地名は11世紀の宋の時代に生まれたため、別名の都市が生まれていたかもしれない)
そうなれば、中国文化の輸入はさらに早期に行われただろうし、何なら中国の一部になっていたかもしれないが、ここでは朝鮮半島が独自の国を作り上げた想定を行う。
おそらくこの朝鮮半島でも、各都市間の関係性が希薄で閉鎖的であるため、文化的には中国に依存することに変わりはないと考えられる。ただし、西岸部の都市間での交流が起こる可能性は否定できない。
半島南部の各都市の繁栄も、結局は中国の存在ありきということで、中国で王朝が安定している時代は半島南部が栄え、中国で権力が分立している時代は半島北部に主権が移る、という流れが想定できる。
だが、ここまで南北に長い半島を統一するのは困難を伴いそうである。北方民族の影響を受けやすい北側と、中華文化の影響を受けやすい南側とでは別々の国が興る可能性も高い。
仮にこの朝鮮半島で史実通りに歴史が進んできたとして、民族関係が複雑になる中世ではどのような道を歩むことになるのか。素人の妄想だと思って一読いただければ幸いである。
918年、高麗成立から考えてみる。
①中国融合ルート
漢の武帝や隋の煬帝など、朝鮮半島に進出して武力で従属させた皇帝が史実にいたように、こちらの朝鮮半島でもそういったことが起こる可能性がある。
960年に中国で宋が成立する。契丹などの北方異民族の討伐よりも朝鮮半島への侵攻を優先し、犠牲を払ったものの10世紀末に高麗を宋に併合する。朝鮮半島の軍事力を手に入れたことで、史実では10世紀末に発生したはずの契丹の朝鮮侵攻が起こらない。
遼や金の興亡のあと、13世紀前半にモンゴル帝国の侵攻が始まる。宋は本土と朝鮮半島の北方を奪われ、モンゴル帝国は元と国号を改める。
大都とは現在の北京にあたるが、こちらの世界においては上海付近が狙われていた可能性の方が高い。資源力の高い江南(中国南部)と高麗を確保していた南宋は、元の撃退に成功する。そのため、元の日本侵攻は起こらない。
②協力ルート
契丹の朝鮮侵攻を経験したのち、今度は女真族の攻撃に遭う。女真族は1115年に金を建てて遼を滅ぼすが、高麗の反撃に遭い衰退。版図を一時的に拡大した高麗だったが、やがて元の侵攻が始まる。
宋は元に追いやられ、北部を支配される。高麗も苦戦を強いられるが、元は南部まで侵攻することができず、高麗は南宋と手を組み元を撃退する。
そのため、元の日本侵攻は起こらない。
③軍事強国ルート
918年に成立した高麗は、早々に半島を統一、半島全域に強固な支配体制を敷き、中国大陸に次ぐ第2の大国となるべく軍事国家への歩みを始めた。半島南部の食糧生産を重視し、首都機能は平壌に集約させた。
960年に成立した宋を攻撃し、北東部を支配。渤海国を滅ぼした上、契丹や女真族を北方に追いやる。
その後1206年にモンゴル帝国が成立するが、相次ぐ高麗との戦いで疲弊し、宋・高麗への侵攻を成功させることはできなかった。
やがて13世紀後半、高麗は日本に侵攻する。慶州(キョンジュ)や釜山から出兵し、長崎に上陸。鎌倉幕府軍との戦闘を有利に進め、一時的に九州北西部を制圧するが、宋からの侵攻が絶えず、国内が疲弊したため撤退する。
14世紀には李成桂の乱が起こり、高麗は滅亡して1392年に李氏朝鮮が興る。
下図は、高麗の最大版図である。
④南北不統一・元服属ルート
918年に成立した高麗だが、女真族の侵攻を受けた渤海国が南下してきたため、半島統一を成し遂げられなかった。
1206年のモンゴル帝国の成立までこの状況は続いたが、モンゴル帝国の強大化を警戒した宋は渤海国を滅ぼし、女真族の居住地にまで侵攻したうえ、高麗を服属させた。
その結果、宋は軍事力は拡大させ、モンゴル帝国からの侵攻を防ぎ、高麗からの朝貢を受けながら13世紀を過ごすことになる。
しかし13世紀後半になると、元からの相次ぐ侵攻で宋が疲弊し、北方の女真族も活発な動きを見せる。やがてモンゴル帝国が宋に侵攻し、元と改めて中国全土を支配し、高麗を飲み込む。
元は高麗軍を2度の日本侵攻に向けさせる。慶州・釜山から出兵し、九州に上陸、鎌倉幕府軍と戦闘になるが、ここは史実と同じで台風により撤退したと考える。
やがて元が衰退し、高麗が復活するも、朝鮮半島南部で成立した李氏朝鮮によって高麗は北部に追いやられる。やがて李氏朝鮮が高麗を滅ぼし、1392年に李氏朝鮮が半島を統一する。
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史実に最も近いのは④であったが、いずれもこちらの世界においては十分に起こり得たことであるため、皆さんにもぜひ考えてほしいところである。特に③のように朝鮮が独自の力を持ち、強大化するというのは、史実では文化的に起こらなかったことであるため(小中華思想:朝鮮民族は中華文化の後継者であり、独自の文化を持つことは夷狄であるとする考え方)、「もし」を考える際は文化的・社会的な側面から覗いてみてはいかがだろうか。
またシナリオを想定するにあたっては、朝鮮半島の南北格差を考慮するのを重要視した。半島北部が侵略されても半島南部は生き残ったり、半島南部の国が北部の国を制圧したりと、「南部>北部」といった順位関係をつけていたのにお気づきだろうか。この朝鮮半島を考えるときは、この視点は決して間違ったものではないはずだ。
さて、なぜこんなに中世の朝鮮を取り上げたかについて説明したい。
というのも、史実の朝鮮半島というのは、1392年の李氏朝鮮の成立以降、1897年の大韓帝国成立まで一切王朝が交代せず、かつ継続して中国の王朝の属国になっていた。
元が衰退したのち、中国では明が興ったが、朝鮮はその明に服属し、満州族率いる清に代わってもやはり服属を続けた。
「中華文化に倣わず、独自の文化を持つことは野蛮だ」と考えられていた李氏朝鮮においては、朝鮮固有のハングル文字が制定された事例があったが、官僚や貴族からは相当な反感を買った。
一度社会に定着してしまった文化や価値観は、なかなか変わらない。
「中華文化に倣う」という小中華思想をやめることができた最後のチャンスは、史実上では李氏朝鮮の成立前だったのではないかと私は思う。
だから、南に移動した想定での朝鮮半島の中世を考えてみたくなったのである。
小中華思想の原点は、百済・新羅・高句麗の時代に遡る。中国と地べたで国境を接していた朝鮮半島の国々は、自分たちの勢力争いに中国の力を借りることがあった。
新羅が一時期半島のほとんどを統一したことがあったが、それは唐と連合軍を組み、高句麗を滅ぼしたからである。
この世界は、朝鮮半島~中国の往来が、航海メインになった世界でもある。だから、史実とは違い、中国に服属しなくても問題がない可能性が出てくるのである。
最後に。
こちらの朝鮮半島が李氏朝鮮以降、中国に服属するのをやめた世界についてもぜひ想像してほしい。特に近現代における日朝関係史は、大きく変わることになるだろう。
朝鮮半島全土がソ連になっていたかもしれないし、日本と並んで早期に開国をしてライバルとなっていたかもしれない。
一体どうなっていたことだろうか。現在の朝鮮半島よりも先進的な道を歩んでいた可能性が高いことは確かである。