ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

2次元の世界はどこにありますか

この世界には、おびただしい数の「良いこと」と「悪いこと」がある。ありすぎて困っている。

どう困っているかというと、もうその多さに疲れてしまっている。耐えられなくなってしまっている。

 

「良いこと」「悪いこと」というのは、何も世界の出来事だけを言っているのではない。自分の心のなかにあるものから、人間関係、物体、思想……。とにかく際限のない範囲にあるものすべてを指す。それらは、視点によって良いことにもなるし、悪いことにもなる。

 

例えば「Aさんは泳ぐのがすごく上手い」という事実があれば、それはAさんにとっては「良いこと」だが、Aさんのライバルにとっては「悪いこと」かもしれない。

 

今の私は、この世にたくさん散りばめられているはずの「良いこと」が、目立ちがちな「悪いこと」によって掻き消され、見えなくなってしまっている。

 

私は元々、「良いこと」だけを取り出して見る能力を持ち合わせてはいたが、残念ながら現代人に必要とされる「様々な角度から物事を捉える視点」をある程度のレベルまで養ったために、その裏側の「悪いこと」も見えるようになってしまった。

 

良いことだと思ったら悪いことでもあった。何度もこの経験を繰り返したあるとき、ようやく私は世の中の複雑さを理解した。十分すぎるほどに、とまで言える自信はないが、「ここはRPGの世界のように、敵と定められたNPCがいるわけでも魔王がいるわけでもない」と悟ったことで、自分の人生の意義や存在の意義を見出すのが、2次元の世界にいる彼らより難しくなっているのを感じた。

 

いつからか、音MADを嗜むことが生き甲斐の一つになった。世界から音MADが消えたら生きていけないかもしれないほどに。

音MADが存在する限り、私は音MADを嗜むことを生きる理由にしていられる。この構図は、私が心のどこかで求めている「単純さ」を持ち合わせている。生き甲斐とは、世の中の複雑さから一時的に解放される機会を与えてくれるありがたい存在なのだ。

 

...

 

人間は死ぬと二度と戻ってこれない。逃げ場のないこの世の中で、自分の目に映る「悪いこと」を排除する手段として、「死」を選ぶのはいささかリスクが大きすぎる。その分「良いこと」も失うことになるからだ。

 

そういうわけで、この世界から一時的に離れたいという私の願望が「2次元の世界に行きたい」という発想を生み出した。2次元の世界は、この世ほど複雑でないかもしれない。この世ほど「良いこと」は少ないかもしれないが、「悪いこと」もその分少ないかもしれない。どうだろう。一度行ってみる価値はあるのではないか。ただし、再び戻ってこれるのなら。