ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

高校受験期に辛酸を嘗めたこと

私は中学3年の冬休みの頭あたりから、受験対策を始めました。親からも塾からも推薦での受験を薦められ、私は冬休みをまるごと、推薦の勉強に充てることになりました。

私は小説なんか読むのが苦手でしたから、本当に推薦で大丈夫なのかと思いましたが、受かったら楽だぞと親にしつこく言われたので、私も楽をしたい気持ちに駆られて勉強を始めました。その頃はとっくに志望校も決めていて、絶対に受かりたいと思っていました。

その冬休みは、想像を絶する辛さでした。ほぼ毎日、2時間塾に行って一般試験の勉強をし、帰ってきてもPCに触る時間は無く、作文の練習をひたすらすることになりました。そのころ、私は数学への苦手意識を強めており、模試の結果がC判定だったこともあって、将来への不安をより濃く感じるようになりました。

しかし、受験から逃げるのは決して許されないことでした。2017年12月31日、とにかく勉強が嫌だった私は、夜遅くにまで作文の練習を後回しにしていましたが、それを見た父親から「お前やる気あんのか!」とものすごい剣幕で怒鳴りつけられました。私が少々キレ気味で「ある」と答えると「お前絶対私立行かせんからな!」と脅しをかけられました。この出来事により、私はより一層「受験勉強からは逃れられない」という恐怖心にも近い気持ちを感じるようになりました。

年が明けると、私の精神状態は以前にも増して不安定になりました。「逃げたい」気持ちはいつの間にか、「死にたい」気持ちに変わっていました。「もう志望校に受からなくていいから、この苦痛から解放してくれ」という気持ちや、「自分はこんな思いをするために生まれてきたのかよ」「この試練すらまともに乗り越えられない自分に価値はない、死ぬべきだ」と、色んな感情が網目のように繋がり、強い自殺願望が生まれてしまったのでした。

私はLINEも禁止されていたので、友達に相談するということはできませんでした。だから、相談相手は必然的に家族しかいないということになりますが、家族に相談してもどうせ、自分が結果的に傷つくこと(=辛い現実を突きつけられる)しか言われないので、これ以上傷つきたくないと思って家族には絶対に「死にたい」などと言えませんでした。今思えば完全に「ひとりで抱え込む」状態だったわけですが、当時の私にとっては、それが生き延びるための唯一の策だったように思います。

毎晩色んな事を考えてしまい、寝る時には必ず涙が出るほど、私は辛い状況に追い込まれていました。ついには「自殺 方法」とネットで調べ出す始末でした。首吊りが最も楽に死ねると知り、どれを使って死のうか試そうと思いましたが、家族が自分の死んでいる姿を見たらどう思うか、もしとても悲しんだとしたら、自分のその死は不必要なものになるのではないか、友達に知られたら、学校の先生に知られたら…………と、考え出すと止まらなくなりました。怖くなって、そういう考えを抜きにしても、結局自分には自殺するほどの勇気がなかったのだと知り、一度も自殺らしいことはできぬまま、冬休みが終わりました。

 

【その後の振る舞い】

私は、弱さのようなものを見せるのは恥だと思い、友達にもそのことについて一切話さず、冬休み前と変わらぬ態度で3学期を過ごしました。結局、誰にも何も言わないまま中学を卒業したのでした。