ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

時間にあまり囚われずに生きていたい

まだ時間がある、いやもうない、それは時間の無駄だ、などなど、頻繁に時計とか残り時間を確認してせかせかと生きるのは、楽しくなさそうだ。

 

社会では、己の「時間への正確さ」が信頼を得られるか否かを決定するので、遅刻が許されるとあっては困る。

 

赤の他人に構っている暇は大いにあるし、旧友とだらだらと関係を続けるのもそれはそれでよし、果てにはただじっと、遠くに見える夕日の沈むのを眺めるのも、それはそれは本当に感慨深いもので、現代の忙しさを忘れさせてくれる。

 

「現代の時間は死んでいる」と言いたいのではなくて、何もせずただじっと過ごした時間を「生きた時間」と自分も呼びたいだけで(いつぞやの評論文で出てきた表現)、むしろ現代のように「生きた時間」に該当しないものがあるからこそ、生きた時間と名付けてしまうほどのそれに対する感謝の心が生まれたのだろう。

 

タイトルの通りなら、究極的には本当に時間という概念を取り払って、今は外が明るいだとか、暗いだとか、そのようにして一切の時の数値を無視する生活を目指すことになるが、生まれてからずっと時間に触れて生きてきた人間には厳しいだろう。時間は人間の感覚によほど浸透しているらしく、その底知れぬ便利さ故、そう簡単には消えてくれないどころか、かえって時間という概念のことを考えてしまい、頭から消し去るどころではなくなる。

 

だから、まだ時間など思いつかなかった頃の人の姿を取り戻そうと言うのではなく、時間の有限さに心を惑わされることがあってはならぬと言いたいのである。

 

 

 

と、口で言うのはなんとも簡単なことで、実践するとなれば難易度は…。