ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

歴史への純粋さ①

私は、自分の知らないことを知るのが大好きな子供でした。

小学生時代は、宇宙、科学や生物に関する図鑑や、日本史の歴史まんがを読み漁っていました。あの頃は、今の私がどこか失いかけている探究心に満ち溢れていたように思います。

高校1年の夏休み、筑波大学人文学群のOCに行きました。そこで受けた歴史学の模擬授業でのことです。その授業は「においの歴史」というテーマでした。

「中世ヨーロッパの時代の文献を見ると、宮廷内で平然と用を足す光景が不潔だ、というものは見当たるが、くさいとか臭いがするというものは見当たらない」「従って、当時の人間は、排泄物に対する感性が発達していなかった可能性があると言える」(記憶から一部抜粋)

面白い話だと思いました。しかし、それと同時に、どこか虚無感も感じたのです。

 

「歴史を知っても意味が無い」という考えは、小学生時代の私には存在し得ないものでした。面白いから、気になるから、知ると楽しいから、もっと知りたいから、歴史まんがを読み続けたのです。何周も何周も…。

その興味の源流は、「目的」「意義」といったものに縛られているようなものではありませんでした。間違いなくそれはただの「探究心」に過ぎず、その源を考えることすらしませんでした。

少しずつ成長して、色んな考えを吸収していくうちに、そういった純粋な心というのが消え去ってゆくのを、いざそうなってから感じました。

「自分は歴史を知るのが、自分の知らないことを知るのが好きだから、歴史を探究していたのに、『無意味』という言葉を貼られると、突然何も言い返せなくなる」ということに気づき、動揺した私は急いで「自分が歴史を学ぶ理由」を作ろうとしました。