人の興味の方向はどうやって決まるのか
最近ハマっているものは道路付属物。
例えば新しめのガードレールなんかは、鉄鋼の銀銀してるのがむき出しになっていてそれはそれはかっこいいし、信号機や道路標識の柱なんかも同様。
鉄道設備で言えば、架線柱やブラケットにハマりだしたことだろうか…。なんて言えばいいのか分からない、表現出来ない美しさ、かっこよさがそこにある。
あとコンクリート建造物も…って、全部無機物です。そう、無機物。
高速道路のインターチェンジとかもエモい。なんなら非常駐車帯すらエモみを感じるまである。
そこで不思議に思った。
「みんなはなぜこの美しさが分からんのだ?」
正直これを考え出したら負けだと思う。いやそれでも不思議だ。幼い頃これといって特別な体験はしていない。なぜギンギラギンの鉄鋼製の柱が、ガードレールが好きなんだと問われても「なぜかは分からない」と答える。逆に「なんで君は好きじゃないんだ」と問う。
たいていの人は無惨にもこう言い放つ。
「だって
そんなもの
興味ないから」
結局はこう。
みんな乃木坂46とかバンプオブチキンとか、米津玄師の曲を聴いて過ごしているのかは分からない。いや、音楽が好き、曲が好きというのは分かる。
1つ疑問なのは、「同じような教育を受けてきても、ここまで趣味が変わってしまうのはなぜだ」ということ。
僕からしてみれば、誇張しまくって言えば「道路付属物に、もっと言えば無機物に、そこまで興味が出ないのはなんでだよ!!!れ!れれ!!」ということである。
もちろん有機物の中でも興味が出るものはある。森林の構造とか、玉子焼きの作り方とか。しかしそうではない。
分かったことは、なぜ自分がその分野に興味を持ったのかという理由を説明するのが難しすぎるということである。
「気づいたら好きになってました」とでも言えば良いのだろうか?(相手は無機物)
趣味に逆とかそういう位置やら方向やらは決められないから、なんとも表現しにくいところではあるが、人の趣味ってこうも簡単に分裂していくのかと。
だが、その分裂が今日の人類の繁栄を築き上げたといってもいいだろう。すごく大雑把に考えれば、ガードレールの構造を考えた人は、わざわざガードレールのことを考えるくらいだから、どうせガードレール好き好きマンだったんだろうし、他の事についても同じようなことが言えてしまわなくもない。芸術系なら尚更だ。
結論らしいものは出せないが、とにかくこういうことを考えるのは決して無駄ではないと思いたい。