ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

単語は分かるはずなのに

本日の塾は英語の授業だった。

僕は長文読解を中心に授業をしてもらっていて、今日も2つ長文を読んだ。

 

「一回読み終えても、なぜか内容が分からない。」

おかしいと思った。分からない単語はなかったはず。文中で用いられてる文法も把握済みのはずだ。そのまま問題を解いた。

 

当然、正答は半分以下。

なぜこうなったのかすらも分からない。

 

先生は僕にこう尋ねた。

「分からない単語とか文法とかないですか?」

「いえ、特にないです」

間髪入れず答える僕。

 

「本当に?」

先生が聞き返す。

 

「本当に...ないはずなんですけど...」

グダグダ答える僕。

 

先生はこうおっしゃった。

「速く読んでやろう、とか思ってないですか?」

僕はハッとした。

続けて、「本当に単語も文法も分かっているというのに分からないというのなら、それは丁寧さが足りないんじゃないですか」

...思い当たる節が芋づる式に掘り起こされていく。

 

「一文を読むんじゃなくて、一語一語を読むようにしてください」

 

二年生の二学期あたりからだっただろうか、学校の英語の先生がみんな「受験では速読が大事になってきますよ」「受験でこれくらいの長文を読むんなら、もっと速く読めないと」と口を揃えて言うようになったのだった。

 

僕は不安と焦りの念に駆られていた。長文が出ると、いつの間にか「速く読まないと...」と思って、「丁寧さ」を疎かにしていた。軽視しすぎていた。

 

しかし、それでは速読にはつながらない。

単語も文法も明確に分かっていてかつ、いかに丁寧に読めるか。

 

...僕は今、速読をしている場合ではないのだ。

 

不安と焦りに飲まれ、僕がすっかり忘れてしまっていたこと。

塾の先生は、とてもとても大事なことを、僕に思い出させてくれた。