歴史への純粋さ②
私は今まさに、純粋な探究心、知的好奇心などではなく、「受験のために」世界史を勉強しています。
しかしそれでは虚しいのです。
受験が終わってしまったら、私が勉強してきた世界史は無駄になってしまうのでしょうか?
いえ、絶対にそんなはずはないし、そうであってほしくない。
一年以上世界史を勉強していて、ようやく気づいたことがあります。
「物事には必ず原因と結果がある」ということ。
例えば、
なぜそれまで北方に住んでいた人が、急にもっと南の地方に住むようになったのか?
という疑問なら、真っ先に考えられるのは寒冷化です。これは結果から原因を遡って考えるという行為です。
別の例も挙げてみます。例えば、
もし今日本が、「何らかの」原因で消費税を廃止したらどうなるだろうか?
という疑問なら、私たちは、消費税を廃止するに至った原因と、そこから引き起こされる結果を想定する必要があります。これはある種の、様々な要因が加味された未来予測と言えるでしょう。
歴史の本質はその2つにあるのです。
特に近代史までは、科学的な理論などではなく、人間本来が持つ感情で歴史が形成されてきました。ですから、「こんなことされたら、この人は当然こう思うだろう」という風に、推定や断定の能力は、歴史を学ぶ上で重要になっていることでしょう。