ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

前までスタバに一人で入れなかった

スタバというお店に一人で入るのが無理だった時期が、つい最近までありました。多分今は一人で入れます、多分。

スタバに嫌な思い出があるわけでも、メニューに興味がないからというわけでもないのです。僕がスタバに入れなかったのは、スタバが「高貴な存在」に「見えた」から、自分という存在がその領域を穢してしまうのを恐れたからなのでした。

 

世の中には、世の中が決めたステレオタイプがあり、それによるとスタバは明らかに「オシャレ」なグループに含まれています。となると、オシャレなお店にはオシャレな人間が、僕以外の人間が行くべきで、オシャレでもなんでもない自分がスタバに行くと、場違いだと思われてしまう。僕の中ではこうした思考がはたらいていて、それが強力な抑制を行っていたのでした。スタバに行かないのだから、当然注文の仕方も分からない。よりスタバに行かなくなる。

 

ステレオタイプに踊らされ、勝手に限界を決めてしまうのは僕の根っからの悪癖なのですが、つい最近、人とスタバに入ったら全然大丈夫だったもので、スタバという存在から退いていた過去の自分をすごくあほらしいなぁと思ったのでした。

 

 

それでも、僕みたいな人間は、ある程度のステレオタイプが存在しないと、自分の生き方を決定できないのかもしれないと思うことがあります。自分という存在は、あるところでは薬に、あるところでは毒になるものであって、ステレオタイプはその判断を事前に行うのをサポートしてくれる存在でもある。過信は損ですが、僕は自分が動ける範囲をある程度決めておかないと不安になる人間なので、そういった観点においては、僕はステレオタイプに感謝すべきなのかもしれません。