意識の高低差
アカデミックな分野に限らず、ビジネスの場においても、何かを考えたりイメージしたりするなどの、カタチにするための下準備の段階では「この〇〇の目的は」「用途は」「具体的なサイズは」「いつどこで使うことを想定しているか」といったように、それを形而下の世界に置き、目的と詳細を具体的に記述していく力が大事になってくるらしい。
うーんめっちゃ苦手。
死ぬほど、ではないけど苦手。
なぜなら、その思考のプロセスが、自分の今の思考回路と逆だからなんですよね、多分。
そもそもそのモノの長所とか短所って、使ったり使われたりしているうちにあとから具体的に付随してくるものが多くて、そんなものを形而上の世界で先回りして考えて言葉にする、なんてことはなかなか難しいのです。少なくとも僕はそう感じる。
でもこのままじゃ課題がまずいし、この先の大学生活にも暗雲が立ち込めてしまうので、なんとか改善していけたら……なんて意識の高いことは微塵も思わないのでした。トホホ。
僕は冒頭のあのくだりに「意識の高さ」をどこかで感じてしまっているような気がする。
誰にも迷惑かけないなら、自堕落で生活リズムぐっちゃぐちゃな生活送ろうが、英語など一ミリも喋れなかろうが、一日中ゲームしてようが、別にそれでもいいでしょって考えるような意識の低い人間なので、一度それに「意識高いな…」と感じたらもうそこから「苦手意識」がまとわりついてくるんですよね。
思考回路が噛み合わないだけではなく、意識の高低差が引き起こす嫌悪感のようなものも混じっているのかな、と思ったのでした。