ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

無題①

僕の人生の目標は「なんとか頑張って "中の上" の生活を手に入れること」です。

 

"上" には行けなくていいやと。そう思っているのです。なぜなら、毎回 "上" に行くと碌なことが起こらないからです。

 

上の世界、まず何がヤバいかというと、ほぼトップクラスに君臨する連中だけでなく、その数倍もの規模の "予備群" がいらっしゃることです。もちろんどのジャンルで上下を測るのかという問題もありますが、ここではみんなが普遍的に持つ価値観である「生活の良さ」で考えてみようと思います。 

 

生活の良さとは何か。人によって定義は様々ですが、単純な考え方をすれば、「心から満足のいく生活ができている人が上、その逆の立場の人が下」ということになります。つまり僕は「まあそれなりに満足のいく生活」を「頑張って」手にいれることが人生の目標なのです。

 

僕が上の世界に行くと碌なことがないと言いました。まだ社会に出る前ですが、その気持ちはしばらく変わらない可能性が高いです。上の世界で僕を待っているものは、中の世界とは比べ物にならないほどの向上心、競争心、プライド、コンプレックス、妬み、軽蔑などです。僕の被害妄想も十分に入っていることと存じます。しかし、どうも上の世界には、そういった禍々しい巨大な何かが、ひっきりなしに渦巻いているような気がしてならないのです。

 

人間の生活など、ハッキリと階級で分けて区分されるべきものではありません。本来はグラデーションのようなものです。しかし、人間は数字で何かを示したり境界線を引いたりすることが得意な生き物です。

 

したがって、人間が何かを考えるときにも、自然にそのように考えるクセが付きます。僕はもうそれはそれで別にいいと思います。どうもそういう生き物らしいし、そう考えていることが原因で何か災厄が起きるわけでもないのですから。

 

ただそれでも、やはり「その考え方が自分の価値観や感受性にどういった影響を与え得るのか」ということは考えておいた方がよいと思っています。僕らには、生まれながらにして、考え方を選択する権利があります。誰にも侵害されることのない素晴らしい権利です。この権利を行使するもしないも、やはりそれは人の自由なのです。

 

真実、すなわち確定的な情報というのは、世の中にほんのわずかあるかないかぐらいにしか落ちていないわけです。僕らは、何が真実なのかを知りたいとき、数多の不確定情報や二次情報の中から取捨選択を行います。この大事な大事な工程を抜きにして、真実を語ることを僕は許したくありません。

 

「日本人が知らない〇〇の真実」「できない人必見!できる人はみんなやっている〇〇の真実」

非常にばかばかしいものです。こういった書籍はすでに世の中にありふれています。人間の考え方が無数なだけに、本の主張も無数となり得ます。こういった本の中では、読者を巧みに惹きつけたり、あるいは読者に寄り添い、筆者の主張を納得させるための狡猾な理論展開がなされているのだと思います。もしそうであれば、読者は「○○の真実」というタイトルが書かれた本を読んでいるのに、それが真実であるかどうかはいつの間にか棚の上で、ただ単純に筆者の主張に丸め込められただけ、という罠に陥ります。嵌められても当事者一人では簡単には気づけません。

 

陰謀論はもっと厄介です。陰謀論者は「自分たちだけが真実を知っている。嘘に気づいている」「我々こそが正しい、啓蒙しなければならない」という歪んだプライドや自己愛が暴走した結果生まれた集団です。自己肯定感が高いので、否定しても彼らの理屈で跳ね返されます。自分たちが正しいという自信を持っているからこそ、都合の悪いことには耳を塞ぎ、君らと話し合う価値はないと言わんばかりにそっぽを向くのです。

 

こういった人間が世の中に一定数います。僕は今のところ、こういった人間のやることに意味が見いだせないため、僕自身がそういった人々になろうという気は全くありません。めちゃくちゃな人もいます。しかし、それでも人間です。人間の多様性です。そういう人がいても何らおかしいことではないのです。だからこそ、彼らを内心では軽蔑していても、排除したり弾圧したりしてはならないと思うのです。

自分が「多様性」という最強カードの恩恵を享受しているからこそ、彼らもまた等しくその恩恵に与かる権利を持っています。