ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

仰げば尊し

あっけなく18になり、あっけなく受験が終わり、冬が終わり、そしてあっけなく卒業式を迎えた。

あっけにとられた僕の目の前で、卒業式が淡々と進行していた。

 

仰げば尊し 我が師の恩

君が代は斉唱せず、ただ聴くだけだった。

結局、卒業式で歌唱をすることはなかった。式は2時間ほどで終わった。

教の庭にも はや幾歳

スマホの普及のおかげで、人と人とのつながりは、物理的距離によって簡単には切れなくなった。

しかし、それでも何かが切れ、何かを忘れ、何かを残していく。人とはそういうものだろう。

思えば いと疾し この年月

小中高を振り返る。自分が思い出として頭の中に残していることは何だろう。

大学生活を想像する。自分にとって大学とは、小中高とは全くその存在意義が違う。自分がこれから目指すべき自分の姿とは何だろう。

今こそ 別れめ いざさらば

霞んだ12年間に「さようなら」。

 

 

「我以外 皆我師」

これは担任の先生が、クラス全員に配ったメッセージカードに記していたことばだ。

互いにむつみし 日ごろの恩

18年も生きれば、人は成長する。強くなる。それでも、どこか足りないところが絶対にあってしまうものだ。

別るる後にも やよ 忘るな

「わが師」とは、決して先人や後人たちのことだけではない。同じ日に、同じ場所で、同じ制服を着て、同じ卒業式を迎えた人たちのことでもある。

身を立て 名をあげ やよ 励めよ

自分を自分たらしめること。それは、周りに人々がいるからこそできることである。僕にとっては、大切にしたい周りがいて、大切にしたい自分が在って、それに励むことができていればそれで「立身出世」なのだった。

今こそ 別れめ いざさらば

共に過ごした皆に「ありがとう」。

 

我が師の恩を忘れることはありません。

2021. 3.17

周りの目を気にしすぎたせいでいつのまにか捻くれていた

中2の頃から、突然周りの目を気にするようになった。話しかけたらうざいやつだと思われるだろうかとか、ここで気を遣わないと相手は不快に思うだろうなとか、とにかく僕は「いい人」である僕に価値を見出すようになった。

時期は不明だが、なんとなく「外面と内心が乖離しているのが気持ち悪い」という無自覚な意識がはたらいて、例え「あまり美味しくないな」と思っていても「美味しい」と思わなければいけない、と考えるようになり、それが偽のこころを作るに至った。

 

やがて僕は謙虚に振る舞うことを覚えた。謙虚でなければ周りから煙たがられる。それが怖いから謙虚になる。謙虚になれば、周りからいい人だと思われる。それが嬉しいから謙虚になる。このような不純な動機により、僕は例え誇りたいと思っていても謙虚に振る舞わねばなるまいとして、無理矢理謙虚な自分を作り出した。

 

限界はとっくに来ていた。「もっと素直な人間になってはどうか」となんとなく思い立ち、自分で成し遂げたことは素直に誇ってみようと思った。大学受験期もちょうどその時期と被り、僕は精神的に素晴らしく健康な状態で、受験を終えることができた。

 

しかし、ひと段落して蓋を開けてみると、僕のこころは思った以上に難しかった。長年の間作り出し、積み上げてきた偽の謙虚さは、僕に謙虚であることに喜びを感じさせるようになっていたようだった。要は「謙虚に振る舞っている自分は素晴らしい」と思うようになってしまった、ということである。度し難く気味の悪い心理である。

 

したがって、

「本音がそのまんま現れた本物のこころ」と「良き自分を演じるため本物に見せかけた偽のこころ」、そして

「自分のこころを疑い、それは本物のこころであるか否かを検証するこころ」の3つが少なくとも存在していることになる。

 

だから、例えば僕が人に親切をしたとき、僕のこころの中では「僕が今この人を助けたのは、周りに親切な人だと思われたいからか?それとも単に優しさからか?」という捜査が行われる。だが、この捜査は大抵迷宮入りに終わる。

 

一体なぜこんな人間になってしまったのか。突き詰めれば、それはやはり他人からの目を気にしすぎたからだと言わざるを得ない。

 

自分が今その事象に対して感じたことや思っていることは、果たして本当なのかそれとも偽なのか、その判別がすっかりつかなくなってしまった。どれが「本当のこころ」なのかわからない。自分は今、咄嗟に偽のこころをつくったのではないか、と疑うばかりで、一向に本音は見えてこない。

自分は本当は薄情者で、他人をいとも簡単に攻撃してしまう最低な人物なのかもしれないと考えてしまい、そしてその可能性が捨てきれるわけではないという事実がさらに頭を悩ませる。

 

僕の考えすぎなのか、それとも本当にそうなのか。謙虚ではなく、もっと素直に生きるべきか。受験を終え、おつりが返ってくるほどの時間を哲学に割いたおかげで、また一つ新しい自分を自覚することができた。それは良いことだが、見つけてしまった自分の心の闇(?)をどうにかして取り除く術はないのだろうか。

 

知らぬが仏… もしかすると、触れてはいけないものに気づいてしまったのだろうか。

前までスタバに一人で入れなかった

スタバというお店に一人で入るのが無理だった時期が、つい最近までありました。多分今は一人で入れます、多分。

スタバに嫌な思い出があるわけでも、メニューに興味がないからというわけでもないのです。僕がスタバに入れなかったのは、スタバが「高貴な存在」に「見えた」から、自分という存在がその領域を穢してしまうのを恐れたからなのでした。

 

世の中には、世の中が決めたステレオタイプがあり、それによるとスタバは明らかに「オシャレ」なグループに含まれています。となると、オシャレなお店にはオシャレな人間が、僕以外の人間が行くべきで、オシャレでもなんでもない自分がスタバに行くと、場違いだと思われてしまう。僕の中ではこうした思考がはたらいていて、それが強力な抑制を行っていたのでした。スタバに行かないのだから、当然注文の仕方も分からない。よりスタバに行かなくなる。

 

ステレオタイプに踊らされ、勝手に限界を決めてしまうのは僕の根っからの悪癖なのですが、つい最近、人とスタバに入ったら全然大丈夫だったもので、スタバという存在から退いていた過去の自分をすごくあほらしいなぁと思ったのでした。

 

 

それでも、僕みたいな人間は、ある程度のステレオタイプが存在しないと、自分の生き方を決定できないのかもしれないと思うことがあります。自分という存在は、あるところでは薬に、あるところでは毒になるものであって、ステレオタイプはその判断を事前に行うのをサポートしてくれる存在でもある。過信は損ですが、僕は自分が動ける範囲をある程度決めておかないと不安になる人間なので、そういった観点においては、僕はステレオタイプに感謝すべきなのかもしれません。

多摩ニュータウンの "リニューアル" は誰がやるのか

0. 導入

1960年代から、東京都が総力を上げて開発に尽力してきた多摩ニュータウン

新宿、渋谷などの副都心から距離を起きつつ、しかし十分に通勤可能な位置に設けられた「新しい」都市だったのだが...。

 

1. 多摩都市モノレール開通まで

当時新しく当選した都知事の「多摩ニュータウン事業から手を引く」という一声に加え、1974年のオイルショックによりピタリと住宅需要が止まってしまい、計画された都市規模に現実が追いつかず、京王電鉄小田急電鉄など、住宅開発事業を前提に延伸してきた民間企業は赤字を強いられた。

一方、多摩市においても、当時定められた小中学校の建設費の負担ルールについて懸念の声が上がり、こうした重要な公共設備の開発が中断してしまっていた。公共設備がなければ住宅は建てられず、結果として越してくる住民の数自体が減少することとなってしまった。

都市開発に携わる民間企業にとって、採算性の問題というのは喫緊の課題であり、特にこの多摩ニュータウン事業は、民間企業が東京都や開発公団の充実した先行的な整備を前提としていたために、当初構想されていた多摩ニュータウンのプランを変更せざるを得なくなくなった。つくづく運の悪かった多摩ニュータウン事業だったが、結局東京都が学校施設に関する負担を全額請け負うことになり、ようやく足枷が外れた。このとき、「オープン・スペース(緑地)」と呼ばれる空地をニュータウン内で30%以上確保することが定められ、この方針転換が後の多摩ニュータウンの設計・景観・住みやすさに大きく影響することとなった (2005年までに、緑の都市賞を2度、日本都市計画学会賞を2度、都市景観大賞を3度、日本造園学会特別賞、日本不動産学会業績賞を受賞している) [wikipedia] 。

多摩ニュータウンはその後、東京都立大学の南大沢への移転を皮切りとした大学進出や、稲城市・町田市への開発の発展などを経て、1998年には多摩都市モノレールが一部区間で開業し、2000年1月にまでに 上北台~多摩センター間 で全面開業した。利用者は順調に伸び、営業利益は早くから黒字を達成していたが、膨大な建設費による累積赤字が問題となった。

 

2. 都市交通需要とその変容

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筆者作成・転載禁止

多摩都市モノレール筆頭株主である東京都(79.9%)は、多摩都市モノレール負の遺産とみなし、出資などの経済的支援を積極的に行い、無事に多摩都市モノレールの経営を安定させた。

しかし、多摩都市モノレールが構想され始めた頃から、多摩ニュータウン地域のみならず、多摩地区全体における鉄道計画を見直す声は高まっており、特に南北方向を結ぶ鉄道路線の少なさが批判の材料となっていた。多摩ニュータウン地域において、多摩都市モノレールはその批判と需要に応えるべく計画・建設されたインフラの一つだが、主要な延伸計画がまだ2つ残されていることから、依然として十分に需要を満たすには至っていないといえる。

ところが2020年、事態は変わった。2つの延伸計画のうち、上北台 ~ 箱根ヶ崎間 について、東京都がついに延伸事業のための調査費の予算計上を行った。順調に行けば2022年度以降、本格的に延伸工事が着工される見通しとなる。

新しい終着駅となる箱根ヶ崎駅は、実は早期からモノレール駅の設置が要望されていた。しかし路線延伸は、多摩都市モノレール側にとっては莫大な負担となる。多摩都市モノレールは、一般道路の中央分離帯のスペースの上に跨座式軌道を敷設して走っている。今回の延伸工事もその方式がとられるのだが、中央分離帯が十分に確保されていない区間はまず道路の改良工事から始める必要があり、場合によってはそのために歩道を削らなければならなくなることもある。住民たちが求める「多摩モノレールの延伸」に応えるためには、そういった何段階にも分けられたステップを一つ一つ地道に上っていくことになる。そうなれば、多摩都市モノレールと各自治体の負担だけでは到底建設費を賄うことはできない。東京都という広域自治体による本格的な支援が行われるまで、都市交通の需要を満たすことはできなかった。

 

3. これからの都市計画と都市交通

多摩ニュータウンの都市交通はもはや「多摩ニュータウン」に限定された需要を満たすものではなく、多摩地域という広域な範囲に渡って供給を行うツールへと変容したのである。多摩都市モノレールの例を見ればそれは明白である。民間企業が自力で各自治体の都市設計の要望に応え、事業を展開できる時代ではなくなっている。

都市開発に携わるひとつの民間企業と、自治体の間で繰り広がられる駆け引きというのは、その地域の都市計画に色を付けることにはつながるが、即時的かつ物理的な変化には至らなくなっている。小田急多摩線相模原駅延伸も、目処は立ったが、開通は早くても2033年とのこと。

その都市に暮らす人たちが、自ら都市計画に参加し、動かす手段は限られている。民間企業もまた、どうしても利益を優先して動かざるを得ず、積極的なアクションはなかなか起こせないことが多い。この住民と企業の間の溝を埋め、すれ違いを解消し、両方にとって良い効果をもたらす存在となるべきなのは、やはり広域自治体、すなわち「都道府県」なのではないかと思う。

交通は住民の主要な足であり、生活の一部である。交通が発達しているかどうかは、各市町村などの基礎自治体の活性化にも大きく関与してくる。

かつて、東京都は多摩ニュータウンという大きな風呂敷を広げたが、果たして住民の期待、民間企業の期待に応えることはできただろうか。老朽化が叫ばれ始めた多摩ニュータウンだが、その再生事業を動かし、住民や企業を含め、「都市」そのものを即時的にアップデートしていくには、東京都という大きな存在がなくてはならないのではないかと考える。

見解 世界史

すみません。またまた受験・世界史のお話です。

 

先日の共通テスト、世界史は「意外と耐えた」というような感触でした。僕がこのテストを通じて思ったことや感じたことをつらつら書いていきます。

まず第一に、共通テストでは単純な知識や用語、流れを問う問題(=反射的に解ける問題)の数が著しく減りました。1/3とかそのレベルかも。その中には「正誤問題」という典型的な形式の問題も含まれておりました(まあ僕は正誤問題があまり得意ではなかったんですが)。

では何が増えたのか。

一言で言えば「リード文をしっかり読まないと解けない問題」、裏を返せば「リード文をきちんと読めば基礎的な知識で解ける問題」が増えたんです。これが今回、世界史よわよわな僕が65点とれた理由です。

この問題作成の方向の変化は、多くの受験生にこれまでよりもずっと多い時間を費やさせたのです。

高得点を狙うならつらいけど、単純な知識の組み合わせでそこそことれるセンター試験

読解力や思考力がないと落としちゃうけど、問われる知識レベルは少し落ちた共通テスト。

とりあえず僕はこのように感じました。

 

これが来年以降も続くのであれば、どうすれば知識量、理解度、そして読解力(←New!)をバランスよく伸ばせるのかを、大学受験関係者は考えねばならなくなりそうです。

 

思い切った教育改革により、本来のセンター試験のような問題形式ならば高得点をとれていたであろう受験生が共通テストで爆死するとか、あるいはその逆というケースが各地で起こっているということは容易に推測できます。

僕の代は、この共通テストの形式にぴったり当てはまる教育を受ける機会がなかったものですから…。

しかし意外にも、各予備校が算出した予想平均点は60点前後。「問題形式を変える」ことと「平均点を下げる」ことは必ずしも一致するとは限らないのだなと。僕もセンターの形式ならどれくらいとれてたか分からないです。人によっては共通テストの形式が合っているということも。しかしこんなに(予想の段階ではあるけど)平均点が予定より高くなってしまうとは。

 

…もしかすると、共通テストの形式の方が、人間本来の力量を伸ばすのに合っているのかもしれない。ふとそう思いました。

 

世代論について

世代論。

特定の年代に誕生した人間にある程度共通して見られる特徴を抽出し、カテゴライズした世俗的、帰納的な推論のこと。ゆとり世代とか団塊世代とか、色々名前がついてます。

 

僕は世代論をほとんど気にしない人なのですが、一応「世間」はどのように定義しているのかというのが気になって調べた時期もありました。割と最近です。

 

一通り調べて思ったことをつらつら書いていきます。

血液型占いよりはよっぽどマシです。が、こういった曖昧なカテゴライズを過信している人が多いなという印象も同時に受けました。

 

以下、全てネットを覗いていて見たこと・思ったこと。

まず有名な「ゆとり世代」への否定的な意見と、その否定を顧みる肯定的な意見が同じくらい存在していました。ほとんどは一歩引いたような中立的な意見でした。とりあえず中和はされているようでした。

 

否定的な意見というのは挙げればキリがないんですが、例えば「ゆとりは使えない」というフレーズは多いように感じました。「ゆとり世代」の特徴といえば、その名前の由来となったゆとり教育を受けたことはもちろん、学力低下デジタルネイティブ、欲がない、消極的、リーマンショック直撃、などが挙げられます(なおリーマンショックに関しては、リーマンショック直前の世代も含んでいる場合があります)。

 

当時の上の世代にとっては「消極的で、あまり高望みをせず、会社への忠誠心を示さない」という気質が鼻についたのかもしれません。しかし「デジタルネイティブという強みをもち、堅実で安定性を求めるという先見性に優れながらも、リーマンショックと就職難に一時期苦しめられた世代」と言う見方も成立するのではないでしょうか。実際、肯定的な意見にはそれと似た旨を示すものが多く見受けられました。

 

これを言ってしまうとオシマイなのですが、結局は「価値観の違い」「視点の違い」に落ち着くんですよね。「ゆとり」からすれば「団塊世代はPCを扱う技術がついていないので使えない」という反論をしたくなるでしょうし。

そうなると「団塊世代は今はもう働く年齢ではない人もいる」という話になってくるので、この世代論って本当にただの「イメージ」でしかないのかなと思います。イメージだったり偏見だったり、ある人の前では全く通用しない戯言だったり神話だったり。「堅実」だと言われている世代の人間にも、パチンコとか競馬とか、そういうギャンブルが好きな人だっていますからね。

 

ごめんなさい。ゆとり世代の話になってました。

ともかく、「若者」というのは社会的に未熟だったり、無知(悪い意味ではなく)な人が多いので、その時代の社会的特性が反映されやすいというのは実際あると思います。ただ、あくまでもそれは「そういう傾向です」という範囲に留めるべきなのであって。

 

彼らを貶しても褒めても、結局その若者を作り出したものは何なのかと突き詰めれば、その上の世代の人達なんですよね。なんでもかんでも「今の若者」がやることを否定するのではなく、ああそれが今の時代なんだな、と受け入れる。少なくとも僕はそうありたいのですが、それは早くても15年後くらいの話になるのかな。それでもあっという間ですね。

 

ちなみに僕は定義によっては「第二ゆとり世代」とか「さとり世代」とか「コロナ世代」と呼ばれる人間らしいです。このようにいろんな呼称が誕生してしまうあたり、人間はこういう話が大好きなんだなぁって思います。かくいう僕も本質的には同じです、多分。

 

最後にただ一つ擁護をするとするならば、この世代論というのは、実際の統計に基づいて見いだされた相関とある程度対応していて、「便宜上」がビザなしで通用するカジュアルな場では非常に使いやすいんですよね。まあ間違っていはいないけど、みたいな。ただやっぱり使い方を間違えると頭が悪いのかなと思われたり、悪い印象を与えかねないので、気の合う人がたまたまその手の話が好きだった場合に限って話のネタにしようかと思います。

共通テスト1週間前

短いです。

 

本日は共通テスト1週間前です。僕にとって共通テストは、すごく重要というわけではないのですが、第一志望の大学の1学科を一般と共通利用の併願で受けるので、肩慣らしという意味も含めて、本格的に受験本番の世界に飛び込んでいく第一歩となりそうです。

勉強の方はすごく調子がいいです。国語と世界史がそれぞれまだ甘いところがありますが、英語はグッド。これまで長文読解の能力を頑張って伸ばしてきましたから、共通テストの出題形式とは相性がいいです。

 

1/16(土)の共通テストの後、その次に受けるのがいきなり第一志望なんですよね。2/3(水)。もう本当にすぐです、1ヶ月もないですから。その後2/5(金)、2/7(日)、2/8(月)と、少しタイトなスケジュールが続きますが、第一志望に受かれば僕の受験は無事そこで終了となります。

ただ不思議なことに、あまり焦りというものを感じていないんですよ。多分、今の自分には何が足りないかというのが感覚的にわかってるから。1ヶ月後2ヶ月後の自分が、一体どういう顔をして机に座っているのか。どういう心持ちで卒業式に出ることになるか(卒業式ないかもしれないけど)。それを考えるとですね、焦りよりも先に「よし今頑張ろう!!」と気合が入るんです。2ヶ月前の今はろくに勉強もせずにゲームばかりしてましたが。時間の流れは早いものです。即ち、人の成長も。

 

僕も今日で18になりました。「おとな」と呼べるのかもしれないが、まだ「成人」とは呼べないので、なんだかしっくりこないままです。まあそんなことはどうでもよい。

人生でこんなに勉強をしている期間というのはもしかしたら来ないかもしれない。今の所、ダントツで暫定1位です。だからこの環境を楽しもうと思います。