ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

無題②

アメリカにおける21世紀初頭頃に生まれた年代を指す「Z世代」という言葉が、いつしか日本にも浸透していた。

 

このZ世代が社会の中核を担う頃は、今よりももっと「カラフル」な世界が広がっているのかもしれない。

 

歴史を見渡すと、時代が進むにつれて人間のバリエーションが増え、また数テンポ遅れてそれが社会的に市民権を獲得していく、という流れが出来上がっている。それは同性愛者であったり、特定の人種であったり、また特定の宗教の信者であったりと様々である。つまるところ、現代社会は確実に「すべてが認められた社会」に近づいて行っていると言いたいのである。

 

「すべてが認められた社会」の対義語は、「何も認められない社会」ではなく、たぶん「一つのことしか認められない社会」であると思う。そこの人々はずいぶんと画一的で、考え方も生き方も、同じようなものしか認められない。そんな社会である。

 

つい30年前まで存在していたソ連は、その典型例であったと思う。

ソ連の人々は、私有財産の自由を捨てることを強いられた。すべては、平等な世界を作るため、労働者の楽園を作るためであった。国は計画経済で動き、競争も生まれず、魅力的な商品がソ連中から次々と姿を消していった。

 

共産党を批判することも許されなかった。みんなが「共産党のやっていることは正しい」と思って行動しなければ、うまく動かない仕組みだった。誰かがこっそりと財産を蓄えれば、その時点で「平等」は崩壊する。

人間は、一致団結して完璧に平等な社会を作れるような生き物ではなかったのだった。ソビエト連邦は、人間の限界を見事に示した大国であった。

 

共産主義社会とは「全員が同じことを考え、同じことをしないと成立し得ない」社会である。多様性の甘い汁を吸いまくっている僕は、この観点で共産主義という考え方自体に批判的である。批判ポイントはそれだけではない。やはりあの世界は、ただ単に理想を追いかけていただけであった。"科学的社会主義" に基づいたあの世界も、結局は労働者の怠惰を引き起こし、社会を灰色で塗りたくった。生まれてきた人間もまた、灰色の人生を送ることになった。ソ連国民は、世界最多の犠牲者であるのかもしれない。

 

言論の自由が保障されたこの現代日本社会では、自分たちの権利を声高に叫ぶことも、政府を糾弾することも、あらゆるものが主張として発せられている。僕が考えている「カラフルな社会」の "カラフル" とは、決して良いものばかりではない。

 

人が何かを批判するとき、その文言の中には少なからず、悲しみ、怒り、憎悪など、やはりマイナスな感情が混入されている。先ほどの僕の共産主義を批判する文言にも、「そこで画一的な人生を送ることを強いられた人々のことを思った僕」のマイナス感情が渦巻いている。

 

本当の多様性とは、そういったマイナス感情にも蓋をしない。だから、「すべてが認められた社会」では、今の社会よりもずっと多くの誹謗中傷が、社会を飛び交い、誰かに突き刺さることになるのかもしれない。

 

「多様性を認めましょう」と「偏見・差別を無くしましょう」という言葉。"思想の自由" は青天井である。しかし、それが "言論" として発せられたとき、そこにリミッターを設ける役割を担っているのが、実質的には法律である。

 

本当に多様性を認めるのであれば「特定の属性を持つ人々に対して、それを口には出さないが偏見を持っている人」のことも認めなければならない。もしその人が偏見を言葉として発したとき、その言論の自由に法律が天井を作り出す。ところが、その人が「自分のその攻撃的な発言も多様性の一つだ」と主張し始めたら、我々はどうすればよいのだろうか。

結局は「道徳」に落ち着く。「ああ、この人は道徳心が欠如しているんだ」と。「すべてが認められた社会」に近づくにつれ、人々はせめぎ合い、やがて法律では根本的に解決できない問題があることを鮮明に認識し始めるだろう。またそれが、人間の持つ多様性によって引き起こされていることも。

 

無題①

僕の人生の目標は「なんとか頑張って "中の上" の生活を手に入れること」です。

 

"上" には行けなくていいやと。そう思っているのです。なぜなら、毎回 "上" に行くと碌なことが起こらないからです。

 

上の世界、まず何がヤバいかというと、ほぼトップクラスに君臨する連中だけでなく、その数倍もの規模の "予備群" がいらっしゃることです。もちろんどのジャンルで上下を測るのかという問題もありますが、ここではみんなが普遍的に持つ価値観である「生活の良さ」で考えてみようと思います。 

 

生活の良さとは何か。人によって定義は様々ですが、単純な考え方をすれば、「心から満足のいく生活ができている人が上、その逆の立場の人が下」ということになります。つまり僕は「まあそれなりに満足のいく生活」を「頑張って」手にいれることが人生の目標なのです。

 

僕が上の世界に行くと碌なことがないと言いました。まだ社会に出る前ですが、その気持ちはしばらく変わらない可能性が高いです。上の世界で僕を待っているものは、中の世界とは比べ物にならないほどの向上心、競争心、プライド、コンプレックス、妬み、軽蔑などです。僕の被害妄想も十分に入っていることと存じます。しかし、どうも上の世界には、そういった禍々しい巨大な何かが、ひっきりなしに渦巻いているような気がしてならないのです。

 

人間の生活など、ハッキリと階級で分けて区分されるべきものではありません。本来はグラデーションのようなものです。しかし、人間は数字で何かを示したり境界線を引いたりすることが得意な生き物です。

 

したがって、人間が何かを考えるときにも、自然にそのように考えるクセが付きます。僕はもうそれはそれで別にいいと思います。どうもそういう生き物らしいし、そう考えていることが原因で何か災厄が起きるわけでもないのですから。

 

ただそれでも、やはり「その考え方が自分の価値観や感受性にどういった影響を与え得るのか」ということは考えておいた方がよいと思っています。僕らには、生まれながらにして、考え方を選択する権利があります。誰にも侵害されることのない素晴らしい権利です。この権利を行使するもしないも、やはりそれは人の自由なのです。

 

真実、すなわち確定的な情報というのは、世の中にほんのわずかあるかないかぐらいにしか落ちていないわけです。僕らは、何が真実なのかを知りたいとき、数多の不確定情報や二次情報の中から取捨選択を行います。この大事な大事な工程を抜きにして、真実を語ることを僕は許したくありません。

 

「日本人が知らない〇〇の真実」「できない人必見!できる人はみんなやっている〇〇の真実」

非常にばかばかしいものです。こういった書籍はすでに世の中にありふれています。人間の考え方が無数なだけに、本の主張も無数となり得ます。こういった本の中では、読者を巧みに惹きつけたり、あるいは読者に寄り添い、筆者の主張を納得させるための狡猾な理論展開がなされているのだと思います。もしそうであれば、読者は「○○の真実」というタイトルが書かれた本を読んでいるのに、それが真実であるかどうかはいつの間にか棚の上で、ただ単純に筆者の主張に丸め込められただけ、という罠に陥ります。嵌められても当事者一人では簡単には気づけません。

 

陰謀論はもっと厄介です。陰謀論者は「自分たちだけが真実を知っている。嘘に気づいている」「我々こそが正しい、啓蒙しなければならない」という歪んだプライドや自己愛が暴走した結果生まれた集団です。自己肯定感が高いので、否定しても彼らの理屈で跳ね返されます。自分たちが正しいという自信を持っているからこそ、都合の悪いことには耳を塞ぎ、君らと話し合う価値はないと言わんばかりにそっぽを向くのです。

 

こういった人間が世の中に一定数います。僕は今のところ、こういった人間のやることに意味が見いだせないため、僕自身がそういった人々になろうという気は全くありません。めちゃくちゃな人もいます。しかし、それでも人間です。人間の多様性です。そういう人がいても何らおかしいことではないのです。だからこそ、彼らを内心では軽蔑していても、排除したり弾圧したりしてはならないと思うのです。

自分が「多様性」という最強カードの恩恵を享受しているからこそ、彼らもまた等しくその恩恵に与かる権利を持っています。

久々のブログ

最近めっきりブログを書かなくなっていたので、久しぶりに書いてみようと思いました。

 

必死の思いで努力をして、金持ちになった人。

必死の思いで努力をして、中流階級になった人。

必死の思いで努力をして、ようやく貧困から抜け出せた人。

 

「金持ちから多く税金を取らなければならない」という言葉とともに、この3種類の人々のことを思い浮かべると、平等という言葉の儚さが伺い知れます。

 

最近はめっきり競争心や向上心がなくなりました。

なんか疲れましたね。他人と比べっこしながら生きるのが。

人と話すとちょっと疲れちゃうような内向的な人間(であると最近分かった)なんで、ゲーム以外の競争に向いてないのかな。

あとあれですね。誰かと何かの情報やコンテンツを共有し合おうという気が起こらなくなりましたね。「面白い診断サイト、IQテスト、つべの動画、神絵師のアカウントなどなど、全部自分で見つけて勝手に消費すればいいものを、なぜわざわざ共有しようと思うのか」とさえ考えるようになってきました...。

 

車校のおかげで、一歩も外に出ずどこにも出かけない夏休みにはならずに済みそう。

とにかくマイペースが一番ですね。だから1人の時間が一番落ち着く。

 

絞め方がわからない

意識の高低差

アカデミックな分野に限らず、ビジネスの場においても、何かを考えたりイメージしたりするなどの、カタチにするための下準備の段階では「この〇〇の目的は」「用途は」「具体的なサイズは」「いつどこで使うことを想定しているか」といったように、それを形而下の世界に置き、目的と詳細を具体的に記述していく力が大事になってくるらしい。

 

うーんめっちゃ苦手。

死ぬほど、ではないけど苦手。

なぜなら、その思考のプロセスが、自分の今の思考回路と逆だからなんですよね、多分。

 

そもそもそのモノの長所とか短所って、使ったり使われたりしているうちにあとから具体的に付随してくるものが多くて、そんなものを形而上の世界で先回りして考えて言葉にする、なんてことはなかなか難しいのです。少なくとも僕はそう感じる。

 

でもこのままじゃ課題がまずいし、この先の大学生活にも暗雲が立ち込めてしまうので、なんとか改善していけたら……なんて意識の高いことは微塵も思わないのでした。トホホ。

 

僕は冒頭のあのくだりに「意識の高さ」をどこかで感じてしまっているような気がする。

誰にも迷惑かけないなら、自堕落で生活リズムぐっちゃぐちゃな生活送ろうが、英語など一ミリも喋れなかろうが、一日中ゲームしてようが、別にそれでもいいでしょって考えるような意識の低い人間なので、一度それに「意識高いな…」と感じたらもうそこから「苦手意識」がまとわりついてくるんですよね。

 

思考回路が噛み合わないだけではなく、意識の高低差が引き起こす嫌悪感のようなものも混じっているのかな、と思ったのでした。

誰に言ってもどうにもならないはずのことをありのままに書いてみる

僕は現代社会の生活に向いていないかもしれない。

 

大学受験よりも就職活動の方が大変だと感じる人が多いらしい。ちょっと待ってくれよ。僕は高校受験で1回、大学受験で2回も死ぬ思いをしたってのにマジかよ。

 

別のブログでも書いたんですが、僕は興味がないことに対する忍耐力や我慢強さが普通の人と比べると大幅に欠けていて、それが小学3年生から始まった忘れ物地獄、宿題・提出物出せない地獄の原因であると分析しているんだけれども、そもそもそんな僕みたいな人間って社会に出る資格あります?

 

考えてみれば、自分にこんなに自信が持てないのは、自分の忍耐力のなさのせいで「努力ができない」「勤勉さが足りない」「不真面目」であると他の人に思われたり指摘されたりしてきた経験があるからだろうなと思う。

中学時代、みんな提出物を日時までにやり終えて、学校に持って行って「当たり前のように」提出していたのに、僕は持っていくどころか全然やってすらいなかった。そんな普通のことが満足にできない人間だった。あまりこういうのを、病名や症候群の名称で片付けたくはなくて、できるだけ精神分析によってその理由やメカニズムを解明したいと考えているんだけれども、なぜ中学時代の自分がそんなに「できない」人間だったのかは本当に分からない。

 

みんな普通にやっていることが自分にはできないという苦しさ。これを僕は高校受験で味わって、大学受験でも味わって、多分、いやほぼ確実に就職活動でも味わうことになると思う。それほどに「当たり前のことができない自分」がいて自信を持てないまま、大学生になってしまった。

パーソナリティの形成というのは、主に環境と遺伝子という二つの要素が絡み合ってくるものだが、もしかしたら本当に全て自分のせいで、自分の怠惰が原因でこうなっているのかもしれない。しかし、もう下がるところまで下がった自己肯定感をこれ以上さらに下げるようなことはできない。だから、自分を否定するのではなく、肯定する方向へと思考が動いていく。

 

ここから生まれる自分自身への怒りや葛藤は、次第に周囲や社会、地球や人類といったマクロな物体、概念にその矛先が向けられていった。なぜ受験などしなければならないのか、なぜ会社は学生にリクルートスーツを着せておきながら、個性をアピールしなさいなどという矛盾も甚だしいことを言うのか。そもそもなぜ地球に人類が生まれてしまったのか。このような問いは高校受験期から尽きることなく、小川の水のように源流を点として永遠に流れ込んでくる。

 

かくして、人生という軌道の上で感じたネガティブな感情は、結果的にその多くが哲学的な問いに収束する。僕は哲学をしすぎると鬱になるタイプの人間なので、ほどほどにしなければならないが、それでも出てくる「なぜ」が多すぎるあまり、絶望的とも言える将来への悲観的観測の出現に歯止めがかからないままである。

 

いつの間にか、こういった「なぜ」を家族にすら話さず、ただ一人で考え込むようになっていた。図鑑や歴史漫画を黙々と読んでいる子どもだったので、元々こういう内省的な人間だったのかもしれない。しかし一番大きいのは、周囲を心の底から信用することができなくなったということである。

・こういうことを話しても、明確な答えは得られないだろうという失望感

・自分の思考が否定されるのではないかという警戒心

・築き上げてきた問いが根本的なところから覆されるのが怖いという恐怖感

おそらくこの3点が原因である。この3点を生み出してしまう精神構造の原因も粗方判明しているが、詳しい記述は省略。いずれにせよ、人を信頼するのが苦手、頼るのが苦手というのは、日頃から一人で抱え込みがちで、いざという時に思うように周囲へのはたらきかけができなくなるということを意味する。...というのは理屈では分かっていても、なかなか精神構造が追いついてこない。サッカーをしたいのに骨折をしていてできないのと同じようなものだろうか。

 

自分に自信がないとか、人を頼るのが苦手であるとか、当たり前のことができないとか、そういった精神的に不健康な面を抱えながらも、僕は一応生きることができている。しかし、正直言っていつ鬱状態になってもおかしくない状態だ。心のそう深くないところに「自殺」の二文字が恒常的に潜んでいるのを感じている。これも全て自分への失望、将来への絶望、申し訳なさ、後悔、怒り、葛藤などのネガティブな感情が引き起こした精神疾患の一つだと考えている。

 

 

まじで就活がこわいです。就職できたとしても無能のまま成長できないんじゃないかと考えてしまう。あと卒論とかまともに書けなさそう。

まだ学びの無い今の自分が考える "都市計画" とは

古代からすでに人間は「都市」を形成していた。民主政治が有名なギリシャアテネ、選挙制から軍人政治へと移り変わっていくにつれて衰退していったローマなど、その在り様は十人十色であったが、いずれの時代のどの都市にも必ず共通して存在する、「都市」を都市たらしめる不可欠な要素があったと考える。

 

第一に、都市はハードである。

そこには足をつける大地があり、生活のための家があり、インフラがあり、働く場所が、娯楽施設が、政治やその中継を担う建物が、また法律や条例などの不可視な概念が、いろんなものが複合的に重なり合い「都市」というものを形成している。

 

第ニに、人間はソフトである。

人間は動き、考え、学ぶ。生活のために仕事をしてお金を得る。生活のために街を歩き、お金を払って必要なものを揃えては、家に戻っていく。

 

都市というハードがあってこその人間というソフトであり、この2つの概念は決して分離して考えることはできない、切っても切れない関係を形成している。

 

だから「都市」というものは、土地や建物、インフラだけでは絶対に都市にはなり得ない。必ず「人間」が必要である。

 

都市に生きる人間は、実に様々な効果を発揮する。

最も重要なのが「お金の動き」である。都市のなかでは、お金を払う人間がいなければ、お金をもらう人間がいなければ、お金の動きなど存在しない。他の都市と交易を行う際にも必ず人手が要る。このお金の動きが活発であるほど、都市の変化(さらに言えば発展)のスピードは速くなる。都市が発展すればそれだけ人口が増える。人口が増えれば都市はさらに発展していく。

貨幣経済下の都市において、お金の動きは都市と人間の生命維持と同義である。

 

それ以外にも重要な要素がある。

その一つが「都市計画」である。

 

「都市計画」というと、実は筆者自身もまだピンと来ていない。ただ、一つ主張しておきたいのは、都市計画とは「都市の行く末を決めるもの」にもなり得るということだ。

 

都市計画という語は、狭義的には「地方自治体などがそこにある都市に対して策定する計画」を意味し、広義的には「政府が国内のあらゆる都市に対して策定する計画」を意味する。ここでは後者の広義的な定義を用いることにする。

 

私が最も「都市計画」の存在を感じる都市は、筑波である。

1960年代に「筑波研究学園都市構想」が持ち上がる。各省庁の機能を筑波に移転させ、東京一極集中を回避しようというものであった。しかし各省庁からの批判が止まず、妥協した結果、国立や公立の学術研究施設のみを移転させるに留まった。

ここに2つの問題が発生した。

1つは、当時の筑波には主要な交通機関が整っておらず、人々に「東京一極集中の分散先」に選ばれなかったこと。

もう1つは、研究者の自殺が極めて多かったことである。

筑波の建物は、快適な生活環境を確保するために住宅の遮音性は高く設計されていた。そのため人間が受け取る情報量が減り、それが疎外感やストレスにつながっていった。また都市を構成する建物もタイプも、研究者のための住宅地と研究施設ばかりと短調であり、飲食店や娯楽施設といった「明るい空間」を形成する要素は非常に少なかったという。

筑波特有の自殺現象は、「筑波病」と呼ばれた。

 

1988年に開催されたつくば万博は「明るい空間」の形成につながり、次第に研究者の精神衛生状態は改善されていった。2005年には秋葉原とつくばを結ぶ つくばエクスプレス が開通し、現在では「筑波病」や同義語の「つくばシンドローム」を聞くことはなくなっている。

 

 

筑波研究学園都市構想については、失敗であるとする見方も多く見受けられる。しかし、ここでは一旦先に挙げた事例に焦点を当てて考えることにする。

当時のみならず現代においても、また未来においても、都市計画を策定するにあたって重要なのは「ソフト(人間)のニーズを考えること」と「フィードバックを受け、それを還元していくこと」である。

筑波は、ソフトが求めていたであろう「生活環境の快適さ」は満たしていたが、それが行き過ぎたものになっていたか方向性が間違っていたと考えられる。筑波病に関する指摘は、1980年代よりも前から存在していたとされる。であるならば、なぜ早い段階で対応をとることができなかったのか。

 

計画が策定され、それが施行されるにあたっては、人々は往々にして一貫性を求める。それは人の心理的カニズムが帰結して起こる一種の行動である。行政や事業者は、自分たちが計画したものができるだけ支持されるよう、一貫した姿勢で取り組む。

しかし、都市計画はその限りではない。

 

1974年、当時大きな注目を浴びていた多摩ニュータウン計画だが、オイルショックにより住宅需要が一気に落ち込み、住民の流入が見込めなくなった。その時、行政は「素早く画一的な住宅を提供する」のではなく「時間をかけて理想的なまちをつくる」という方向に計画を大幅に変えたのだった。

詳しい説明は省くが、この "ニーズを把握した上での計画の転換" が契機となり、現在に至るまでに多数の賞を受賞することとなった。

 

このようにして都市計画とは、その地域に求められているものは何か、問題が起きているならば必要な対策とは何かなどを、ただ議論するだけではなく実際に都市に適用していくことが求められるのではないかと考える。

 

そのためには地域住民との対話が不可欠である。行政や事業者は、地域住民の顔をただ伺うのではなく、オープンで柔軟な都市計画を施行するために、積極的に交流の場を設ける必要がある。地域住民も、自分たちが求めていることは何か、何が問題として挙げられるかをしっかりと公表する必要がある。

よりよい都市計画を進めていくには、行政や事業者と地域住民が話し合い、折り合いをつけたり譲歩したりしながら、双方の合意の上で問題解決に取り組むことが大切であると考える。

グレーゾーン?

最近、いろいろ考えていたら一つ分かったことがあるんですよ。

僕が「アスペルガー症候群のグレーゾーンの人間であるかもしれない」ということです。

 

アスペルガー症候群というのは、その定義がよくADHDと混同されがちですので、ここでハッキリと再定義する必要があると思います。

ja.wikipedia.org

wikipediaにおいては、アスペルガー症候群は「特定の分野への強いこだわりを示し、運動機能の軽度な障害が見られることもある。自閉症スペクトラム障害うち知的障害および言語障害をともなわないグループを言う」と定義されており、本記事においてもこれに依拠して定義するものとします。

 

 

さて本題に入りましょう。

今までの自分の人生を見つめ直し、僕の特徴を抽出してみたところ、結構アスペルガー症候群の一部の特性と合致するものが多かったんです。ということで書いていきます。

 

<興味分野の偏向>

・日本語の変化には興味を持つが、高校古典の授業はあまり好きではなく、受験で使おうともしなかった

・小学生の頃、家にあった日本史のマンガを読むのが好きで永遠に読んでいたため、中学時代は歴史のテストは勉強をほとんどしなくても90点とれた。ただし、高校の日本史の授業は結構寝ていた

 

<興味のない分野においての忍耐力・集中力の欠如>

・小・中ともに、テストの点数が良い教科でも、宿題をするのが非常に苦手だったため3か4がつくことが多かった

 ・中学時代、主要5教科は全体的に点数が良かった(合計420点程度)が、実技4教科は勉強をする気が起きなかった。美術で30点台をとったことがあった

・クラスメイト、特に女子の顔がなかなか覚えられない(覚えようとしない)

 

<偏屈な集中力>

・5歳で最寄りの鉄道路線の全駅の名称を暗記する

・小学校1~2年生の頃は、暗算がクラスでトップを争うほど速かった

・高校2年生の夏休み、アルファベット大文字+一部の文字を収録したフォント(30文字程度)を3日間で作り上げる

 

<規則性への固執

因数分解や関数など、規則性のある数学は得意だったが、幾何学や中学受験数学など、規則性の少ない(あるいはない)数学は大の苦手だった

・画像作成等において、オブジェクトの座標位置を "600" や  "-480" などキリの良い数字にしたがる

・システマティックなもの、型にはまったものが好き(鉄道ダイヤグラム国際音声記号、音MAD など)

 

<その他>

・基本的に何かを作るときは全て1人でやりたい

・自分で納得のいくものしか世に出したくない

・同じ曲を何度もループしながら作業をすることが多い

・電話をかけるのがかなり苦手

・上の立場の人間から叱られると、顔から血の気が引いていったり、ショックを過度にうけたりする

・絵を描く時など、細部に注意力が注がれやすく、全体を把握するのがあまり得意ではない

・画用紙や学校の定期テストの紙など、特定の紙の質感が大の苦手。触っていると耐え難い不快感に襲われる

 

...など。

ちなみに「アスペルガー症候群と特徴は一致するが、それほど顕著ではないレベルの症状」を「PDD-NOS」と言ったりするみたいです。だから僕は正確に言えばPDD-NOSなのかなと思いますが、「アスペルガー症候群のグレーゾーン」とした方がわかりやすいので一応こうしておきます。

 

 

もう少し詳しく。

グレーゾーンだという結論に至ったのは、僕が「社会適応能力」と「コミュニケーション能力」を十分に有しているからです。空気を読んだり、相手がどう思うかを考えて動くのは人並みにできますし、街で知らない人と50分間フリートークをしたこともあるので、外側から見れば「普通の人だ」と思われているのかもしれませんね。

 

 

ただし。僕はなんだか、「普通であること」にこだわってしまっていたような気がします。

今の世の中、「普通であること」って未だに強いんじゃないかと思います。社会の最大勢力は「普通」ですから、その普通の中で普通にやっていけば、難なく生きていける。嫌われにくいし、認められやすい。

僕は「君、なんか変わってるね」としばしば言われて育ってきた人です。決して悪い気分にはならなかったし、褒め言葉として受け取っていた時期もありました。

しかし、「あ、そういうやり方するんだ」など、"あなたは普通ではない" "人とは違っている" と解釈できることを言われると急に不安になり、「普通という強力な規則」への依存感を強めて普通を獲得し、安心感を得る、ということを時々やってきたものです。

 

 

ところが、発達障害という視点を持って周りを見てみると、意外とグレーゾーンの人って多いような気がしてきたんですよね。そこで「まあ別に無理して普通を目指さなくてもいいか」と、さらには「普通じゃなくても強い人っていっぱいいるなぁ」と思うようになりました。ただ「普通は割と強い」という考え方は未だに変わりそうにないですね。

 

 

<その他>項目にあるように、「自分で納得のいくものしか世に出したくない」はブログ書いてるときでも結構出ちゃいます。「あーこれだめ」と思って下書きの保存もせずにすぐ書くのやめちゃったブログとか大量にあります。

 

 

2021/6/17 追記

中2の夏休み、初めてADHDの存在を知った時のことを思い出したので書いておきます。中2の1学期、提出物を全然出しておらず、夏休みの三者面談でそれが親にバレまして。

https://note.com/yubeshiroishi/n/nf5dce7ea5906 詳しいことはこっそりとnoteに書いてあります。

まあとにかく「なんで自分だけこうなんだろう」と思ったのです。そこで、Googleで「忘れ物 多い」とか「提出物 出せない」とか調べると、一番上に「それってADHDかも?!」みたいなリンクが出てきました。僕はそれで初めてADHDというものを知ったのでした。

親に「ADHDかもしれない」と言ったのですが、今まで叱られていたのとは打って変わって「そこまで気にしなくてもいいよ」と言われまして、それはそれで少々腑に落ちない気分だったのを覚えています。まあ...気にしすぎも毒ですからね。親はそれをわかっていたのだと、今となってはそう思うのです。

僕もなんとなく、「ADHDを理由につけて逃げているような気分」をなんとなく感じとるようになって、もうそれでADHDを気にするのはやめました。

 

病院で検査を受けるということはしませんでしたし、受けるまでもなく自分はADHDには当てはまらないと思っています。