ゆべ白石の軌跡

出来事、価値観、制作物などの記録を行っていました。note移行に伴い更新停止【2020.1.8~2022.6.28】

運動に競争は必要か

僕は中学時代は卓球部に所属していた。少しでも運動嫌いを克服できたらいいなと思い、一番やる気が出そうなスポーツが卓球だったので卓球部を選んだ。

 

結果から言うと、大してうまくならなかったうえ、むしろスポーツに対して消極的になった。

 

3か月くらいに一度、地区大会があった。10校前後が参加し、上位に入れば都大会に出場できる。同級生の友達は、2回戦や3回戦まで勝ち上がる中、僕だけ1回戦で負けているのだった。一度負けたら、もうその日はラケットは握れない。虚しかった。

「部活に入った以上は、ちゃんと大会に出ろ」という方針だった。確かに僕は、卓球がやりたくて卓球部に入ったが、向上心は消えた。

それでも、卓球をやりたい気持ちはまだ一応あったし、「途中で部活をやめると、内申が云々」という話を聞いたのもあって、引退するまでずっと部活に行っていた。結局、地区大会で一回も勝ち上がることはなかった。

 

何だったのだろうか。

 

僕は、卓球で勝ち上がって楽しさを感じたかったのではない。ラケットでボールを打ち、思いっきり体を動かすことに楽しさを感じていて、ただそれを部活でやれたらよかっただけなのに。

 

競争するのは上位の人間だけでいい。僕は運動神経に関しては底辺レベルだ。僕みたいな人たちまで競争に巻き込むことに意味はあるのだろうか。身体能力のことでコンプレックスを感じる人が増えるだけではないのだろうか。「若者の運動不足」などと言われているようだが、それは競争を軸にした教育システムに問題があるのではないのか。

 

全国の中学や高校で、毎年体力テストを実施している。そこまではいいが、毎回毎回グラフとともに「D」の文字をつけて送ってくるのだけはやめていただきたい。「D」とはもちろんD判定のことだが、そうやってランク付けするのが、底辺層の劣等感を刺激することに繋がりかねないというのが分からないのだろうか。

 

僕は体育の授業にも真面目に参加しているつもりだ。サボったことはない。風邪や早退で欠席になったことはあるが、それでも1回か2回程度だし、毎回の授業に積極的に取り組んでいる。でも成績は10段階評価で3だ(5段階で2)。僕の学校は10段階で2以下がつくと、追試や補修などの対象になる。3はそのギリ上というポジションなのである。

そのくせ、「授業はサボりがちだけど運動神経が生まれつき良い奴」の方が成績が上だったりする。訳が分からない。

 

体育の成績など、運動神経の優劣を比べず、授業に真面目に取り組んでいるかどうかで判定してはくれないだろうか。いくら頑張っても、どうしても生まれつきの能力は影響してくる。だからもう競争は控えめにして、運動すること自体を楽しもう、という授業スタイルにした方が良いのではないだろうか。